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群馬県のニュース

谷崎潤一郎の手紙 太田市内で発見 竹工芸作品への礼状 

更新日時:2017年8月26日(土) AM 06:00
 国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された飯塚小■斎しょうかんさいさん(2004年死去)の父で、竹工芸作家の琅■斎ろうかんさいに、「細雪ささめゆき」などの小説で知られる作家、谷崎潤一郎(1886~1965年)が宛てた手紙が群馬県の太田市内に残されていることが分かった。琅■斎が贈った作品への礼状とみられ、「家宝」にする趣旨がしたためられている。2人の交友が知られるのは初めてで、専門家は飯塚家の芸術が谷崎小説の世界観形成に影響した可能性を指摘している。

◎「作品到着 大喜び」作品を家宝に
 手紙は琅■斎の孫で、小■斎さんの長女、万里さん(61)=同市金山町=が数年前に自宅に残る書簡から見つけ、保管していた。封筒の表に1940(昭和15)年3月15日の消印があり、裏に谷崎の名前とともに当時住んでいた兵庫県住吉村反高林(現神戸市)の住所が記されている。

 谷崎潤一郎記念館(兵庫県芦屋市)によると、手紙には谷崎一家が待ち望んだ琅■斎の「製作の品」が「昨日無事到着」し、「大喜び」していることが書かれている。さらに、記述から谷崎が琅■斎の作品を高く評価していたとも読み取れるという。筆跡も谷崎のものと合っている。

 細雪は昭和10年代の大阪・船場を舞台に、旧家で育った4姉妹の運命を描いた名作。記念館の井上勝博学芸員は「手紙を送った40年は小説の描写期間とちょうど重なる。手紙から穏やかな日常生活の一場面を想像できる。豊かな世界観を作り上げる上で、道具立ての一つになったのだろう」と推し量る。

 谷崎に贈った作品は見つかっていないが、琅■斎研究の第一人者で、栃木県立美術館の鈴木さとみ学芸員は「琅■斎と谷崎に関係があったことを示す貴重な史料。美術界にとどまらない飯塚家の人脈の広さを示す」と評価する。

 万里さんはいずれ手紙を美術館などの施設に預ける考えで、「今後の研究のためにも適切に残さなければならない」と話した。

 飯塚家の竹工芸は、琅■斎の父、鳳斎ほうさい(初代、1851~1916年)が祖。琅■斎が芸術の域に高めたといわれる。跡を継いだ小■斎さんは次男で、62歳の時に拠点を東京から太田市に移した。63歳で人間国宝に認定された。

 《飯塚琅■斎》 1890年、栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。本名は弥之助やのすけ。35歳でパリ万国装飾美術工芸博覧会で銅賞受賞。昭和天皇の献上品制作も手掛け、日展参事を務めるなど芸術界に多大な影響を及ぼした。1958年に東京・千駄木の自宅で死去。

 ※■は王へんに「干」

※詳しくは「上毛新聞」朝刊有料携帯サイト「上毛新聞ニュース」でご覧ください。

谷崎が琅■斎に送った手紙。封筒裏に谷崎の名前と当時の住所が書かれている

 

飯塚琅■斎