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視点オピニオン21

小栗上野介を学ぶ 歴史のつながりを知る

生涯学習館林市民の会会長 阿部豊子
 
 今から5年前、生涯学習館林市民の会で、司馬遼太郎が「明治の父」と評した小栗上野介のことを学ぶため、高崎市倉渕町の東善寺へ行った。

 本堂で、村上泰賢住職の流ちょうで迫力あるお話を2時間余り、全員微動だにせず、一心に聞き入った。素晴らしかった。

 上野介は遣米使節として渡米し、勘定奉行として幕府の要職を歴任した。しかし、明治政府は幕末の日本の構造改革に奔走した偉大なる業績をないものとし、逆賊扱いしたことを学び、真に怒りを覚えた。しかも館林には上野介の首が埋められていたことを知り、参加者一同、ただただ驚き、帰路についた。

 その後、さらに興味が湧き、市民の会で村上住職を館林にお招きし、上野介の公開講座を行った。文化会館小ホールは300人近くの人でいっぱいになり、熱気に包まれた。

 そして次は、現場で学習しようということになり、旧横須賀造船所と三渓園を訪れた。

 造船所の入所のチェックはとても厳しかった。普通は入れない造船所だが、貢献しておられる村上住職の計らいで入所できたのだ。

 1915(大正4)年、造船所の創立50周年祝典で、時の総理大臣・大隈重信の代理が「この造船所は幕末に上野介が幾多の困難を乗り越え着工し、今日に至っている」とあいさつ。そして小冊子が配布され、技師のヴェルニーと上野介の功績や上野介が明治新政府軍に斬首された経過が伝えられて、上野介の名が初めて顕彰され、市の恩人となった―。村上住職から学んだことを一つ一つ思い出しながら、真剣に見学した。

 特に、150年前に造られたまま現役の海軍第一号ドックの古ぼけたれんがの壁に重い歴史を感じた。そこには修理のため、最先端の真っ白い小型船が入っていた。朝から降り続いている小雨が、上野介の涙雨のように思えた。

 昼は将校以上が利用するというレストランでステーキを賞味。まさしくアメリカそのものの味だった。

 そして三渓園へ。ここは富岡製糸場が絹を盛んに生産していたころ、絹貿易で巨万の富を成した原三渓が造った庭園で、1906(明治39)年から公開されている名園である。茶道における数寄者の一人である三渓は、優れた美術品や重要文化財の数々を収集した。「猫に小判」にならないように、日本の良き文化財を見極める力を養い、感性を磨くためには格好の場である。また美術を楽しみ、心静かに過ごすことができる貴重な場でもある。大いに利用すべきだ。

 歴史を学び、実際に現場へ行って見て触れると、その歴史がいろいろとつながっていることが分かり、身近に感じることができる。私たちもそれを受け継いでいきたい。



生涯学習館林市民の会会長 阿部豊子 館林市美園町

 【略歴】中央大法学部卒。同大評議員。家業(団子店)の傍ら娘2人を育て、館林東ロータリークラブ会長など歴任。小2で始めた茶道は表千家教授を務める。

2015/02/20掲載