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視点オピニオン21

日本と台湾 深いつながりより密に

高崎商科大准教授 萩原豪
 
 今期のオピニオン21で、みなかみ町台湾事務局長の阿部真行氏が執筆されているので、みなかみ町と台南市との交流についてはご存じの方も多いと思います。私も前回、前々回に続き今回も、群馬県と台湾の関係についてお話しします。

 東日本大震災に際し日本は世界各国から多くの緊急支援をいただきました。特に台湾からは200億円を超える義援金が贈られました。この時、台湾ではいち早く救援隊が組織され派遣準備を整えていたのですが、残念ながら外交上の理由から2日間の待機要請を受けてしまいました。その後、2016年2月6日に発生した台湾南部地震の時には、日本国政府からだけではなく、東日本大震災の被災地からも多くの支援の手が差しのべられました。

 また、1999年9月21日に台湾で起きた大地震(921大地震)は、阪神大震災を上回る規模で、震源である南投県は大きな被害を受けました。南投県埔里鎮は紹興酒の生産地として有名ですが、震災復興の財源として見いだしたのは、地域資源である自然環境を生かしたエコツーリズムや地場産業である製茶業です。中でも、日本統治時代に製造していた紅茶を復刻販売することに力を入れました。この紅茶、実は群馬県出身者によってその基礎が作られたのです。

 農業技師として台湾に着任した新井耕吉郎氏は南投県に魚池紅茶試験支所を開設し、台湾紅茶の栽培・研究・普及活動に熱心に取り組み、「台湾紅茶の祖」と呼ばれるようになりました。やがて台湾紅茶は市場から姿を消しましたが、この震災復興で再び脚光を浴びるようになり、新井氏の功績も再評価されるようになりました。

 群馬県出身者と台湾とのつながりは多く、台湾ツツガムシ病を発見し、風土病の根絶に力を注いだ羽鳥重郎氏、そのおいであり台南市長として台南市の文化財保護に尽力をした羽鳥又男氏、その他にも多くの方がいます。

 政治的に正式な外交関係を持たない台湾の人たちとの交流は、民間を通じて年々密接になってきています。しかし、日本統治時代に日本の教育を受けた日本語世代と呼ばれる台湾の方々が少なくなる一方で、ドラマやアニメ、音楽、家電製品などの日本の流行文化に関心のある若者世代が増え、哈日族(ハーリーズー)と呼ばれています。

 群馬県は自治体としても台湾と積極的に交流を持とうと、彰化県・台中市、そして高雄市と協力協定を締結しています。また現在、台南市では交流館みなかみ物語(日本群馬縣水上町交流館)が期間限定で開設されています。日本の自治体で台湾に出先機関を持っているのは、みなかみ町で4例目です。今後も実質的なつながりを持つことを期待します。



高崎商科大准教授 萩原豪 高崎市八千代町

 【略歴】東京都出身。学習院大法学部卒。同大大学院政治学研究科博士後期課程単位取得満期退学。農学博士。日本環境教育学会国際交流委員会委員。2015年から現職。

2017/07/31掲載