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視点オピニオン21

関孝和の業績 数学切り開いた「算聖」

前橋工科大名誉教授 小林龍彦
 
 江戸時代後期の数学者、藤田貞資は1781(天明元)年に『精要算法』を刊行した。これは江戸後期にあって、数学の教授書として大変な評判となる一冊となった。著者の藤田は関流四伝として斯界(しかい)の頂点に立つ大家であり、久留米藩主、有馬頼徸(よりゆき)にも仕え数学教授をしていたことでも高名であった。藤田は同書の序文で、関孝和の偉大な業績を称賛しながら、夫子の著作は「門を分ち、類を聚(あつ)めて数百巻」に及ぶと記していた。関の著作が「数百巻」に及ぶとしたのは藤田の誇張に過ぎない。

 これまでの関孝和研究では、天文暦書を加えて23点ほどを著作と数えているが、厳密に調べてみるとせいぜい十数冊程度ではないかと思える節がある。天文暦学書にも疑わしいものが含まれる。こうした疑念は、この時代の著作のありようが不分明なことから生じる。

 関孝和の数学者としてのデビューは『発微算法』(1674年刊)によるが、これが生前唯一の刊行書となった。関の没後、弟子の荒木村英によって『括要算法』(1712年)が公刊された。これは関の遺稿を集めたもので、関の創意工夫による研究成果がほとんど収められていた。関・ベルヌーイ数、増約・損約術、零約術、角術、円周率術、弧術などがその主なものといえる。

 また、関孝和の数学写本として知られるものに「三部抄」と「七部書」がある。これらは後世の編纂(へんさん)物ではあるが、刊行本と併せて関の数学を理解するための重要な成果が収められている。前者の3冊のうち、『解見題之法』の関生存中の成立は怪しいが、関・ホーナー法による方程式の解法を述べた『解隠(いん)題之法』や行列式を扱った『解伏題之法』は出色の論文といえる。後者は7冊の論文を含むが、方程式の根のありようで式を分類する『開方飜(はん)変之法』、誤った問題を正しい問題へと修正する『病題明致之法』などは異彩を放つ研究である。

 これらの研究成果と1685(貞享2)年、弟子の建部賢弘が著した『発微算法演段諺(げん)解』の普及によって、関孝和の数学者としての名声が定まるとともに、江戸時代最大の数学派閥となる関流の確立が約束された。

 時代に偉業を為し遂げた人物に「聖」の尊称を冠して呼ぶ習わしがある。剣聖、棋聖、俳聖などがそれである。関孝和は算聖と呼ばれた。算聖と最初に呼んだのは、名古屋の数学者、山本格安が『開宗算法』(1741年刊)にあてた序文でのことであった。山本は関を「算聖」と呼び、加えて「仲尼(ちゅうじ)(注:孔子の字)ノ曰、後生畏ルベシト。ソレコレヲ謂カ」と『論語』を引用しながら称揚していた。

 江戸時代の数学を切り開いた関孝和。まさに算聖と呼ばれるにふさわしい偉人であった。



前橋工科大名誉教授 小林龍彦 桐生市相生町

 【略歴】高知県出身。法政大第二文学部卒。東京大で博士(学術)取得。専門は数学史。前橋工科大教授を2013年に退任。県和算研究会会長としても活動している。

2017/07/25掲載
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