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視点オピニオン21

ネットのつぶやき 重い一言 推敲忘れず

文筆家 上野臣吾
 
 「高度情報化社会って、こういうことだったんだ」

 新聞、テレビ、ラジオなどで日々報じられる現代社会のありさまを見ていると、30年近くも前に聞いた「高度情報化社会」の一語が妙に懐かしくなることがあります。

 今は「ネット社会」とか「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)依存社会」とか言うのでしょうか。

 「綸言(りんげん)汗のごとし」

 「漢書・劉向(りゆうきよう)伝」にある言葉です。「王がいったん口から出した言葉は、決して後戻りはできない。体から出た汗のように」。王の言葉の絶対さを表したもので、日本に伝わって「平家物語」や「太平記」に見え、今でも使われる格言になりました。「綸言」の出典は、儒教の経書(けいしょ)「礼記(らいき)・緇衣篇(しえへん)」にある次の文です。

 「王の言は糸の如(ごと)くなれども、其(そ)の出づるや綸(太糸)の如し。王の言は綸の如くなれども、其の出づるや綍(ふつ)(大綱(おおづな))の如し」

 王の命令が下々(しもじも)に降りて行くに従って重みを増し、「糸」のごとく些細(ささい)な一言が、末端では「大綱」のように重大な意味を持ってしまう、このことを言っています。なぜ「大綱」になるのかといえば、王の一言は書記官によって命令書の形となり、国の隅々に下達されていくからです。

 ところで、ツイッターやチャット、またメールで一言(ひとこと)つぶやくとどうなるでしょう。電波に乗った一言は、日本中どころか世界中を駆け巡ります。ネット社会の一言は、「綸言」どころではありません。それに、王は言葉の責任を家来に押しつけられますが、私たちは全てわが身に引き受けなければなりません。

 「ライン」で何げなく書いた一言によって思いがけない事件に巻き込まれ、命を落としかねない。こんな事が明日のわが身にも起こり得る、それがネット社会、SNS依存社会です。

 さて、「綸言(王の言葉)」と「ネット」上の一言とは共通点があります。両方ともに、本人は「話し言葉」のつもりなのが実は「書き言葉」であることです。「書き言葉」と「話し言葉」の大きな違いは、持っている情報量の違いです。話し言葉は、話し手と聞き手とが同じ場面に立っています。相手の顔が見え、声の調子もわかり、時には聞き手がその場で反論もできます。 ところが、「書き言葉」の情報量はぐんと少ないのです。なるほど「チャット」は「おしゃべり」の意味です。が、本当は「書き言葉」なのです。会話なら2、3分使うところを、「ネット」上ではたった1行で済ませたりします。しかも書き手と読者は場面を共有していません。大きな誤解が生まれる原因です。

 「書き言葉」は、基本通り推敲(すいこう)をしてから、ネットに載せてはいかがでしょうか。



文筆家 上野臣吾 富岡市七日市

 【略歴】富岡高、静岡大文理学部人文学科卒。高校教諭を務め、高校長で退職。「川波遼平」の名で「小説・おくのほそ道~芭蕉物語~」を著し、第54回県文学賞受賞。

2017/07/27掲載
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