文字サイズを変更する
小
中
大
 

視点オピニオン21

世界の憲法を学ぶ(3) 正義のための権利行使

日本大法学部教授 斎藤康輝
 
 世界の憲法を学ぶシリーズの3回目、今回は権利と義務についてお話ししたい。憲法は、権力の濫用(らんよう)を防止するための装置であり、その帰結として個人の自由・権利を保障している。したがって、自由権、平等権、社会権など世界各国の憲法条文には権利に関する規定が数多くある。また同時に兵役、納税などの義務規定も存在する。

 基本的な権利に関してはどこの国の憲法にも書かれているが、興味深いのは中国の憲法だ。序章で「共産党の指導の下で」憲法が運用される「党治」国家である旨を宣言しているため、たとえば表現の自由の保障などは他国と同様には語れない。また、中国の人権状況に批判的な米国も、いわゆる「武装権」(「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」=合衆国憲法修正二条)を規定しており、自由の確保と安全秩序の維持というアンビバレントな桎梏(しっこく)から逃れられない。なぜ中国では表現活動が国家によって制限され、また米国では銃の規制が難しいのか憲法をみれば一目瞭然なのだ。

 もともと憲法は、自由の基礎法であり、制限規範であることから、個人の権利保障に重点がおかれ、義務に関する規定は少ない。ただし、防衛に関して言うと徴兵の義務を定める国は多い。お隣の国・韓国も国民に徴兵の義務を課している。とはいえ、北朝鮮の「公民は、つねに革命的警戒心を高め、国家の安全のために献身的にたたかわなければならない」(同国憲法八五条)のような集団主義原則に基づく防衛義務規定はきわめて例外的だ。

 最近は、ハンガリーのように公共性を強く意識する規定(「国民は、その能力および可能性に応じた労働の遂行により、共同体の成長に貢献する義務を負う」)などナショナリズム重視の流れに沿った憲法改正によって義務の強化を断行した例もある。これにはドイツその他の欧州諸国が人権軽視につながるとして反発した。個人というより利己的な権利の主張を連発し、公共性を疎んじてはいけないが、義務規定ばかりがどんどん増えて息苦しい世の中になるのは立憲主義の観点では本末転倒だろう。

 「権利」という言葉の語源とされるラテン語iusは「法」と同義であり、正義の意味もある。権利を適正に行使することは正義の実現である点、世界各国の憲法条文が証明している。かつてイェーリングという学者は「権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務である」と述べた。不断の努力によって権利を行使し、義務を履行することの意味をしっかりと考えたい。



日本大法学部教授 斎藤康輝 埼玉県さいたま市

 【略歴】日本大法学部卒。早稲田大大学院政治学研究科修了。朝日大教授、高崎経済大教授を経て2017年3月から現職。憲法学会常務理事。日本法政学会理事。

2017/03/03掲載
  • 上毛新聞を購読する
  • 上毛新聞に広告を載せる
URLを携帯へ転送 右のQRコードから上毛新聞モバイルサイト「じょうもばいる」にアクセスできます