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三山春秋

2017/03/18【三山春秋】 新田義貞といえば刀を両手で掲げる姿がおなじみだ。鎌倉幕府を攻める際、神奈川県の…

 
 ▼新田義貞といえば刀を両手で掲げる姿がおなじみだ。鎌倉幕府を攻める際、神奈川県の稲村ケ崎で刀を投じる前に祈った場面で、上毛かるたの絵札や各地に残る銅像に採用されている

 ▼『鋳金ちゅうきん工芸家・森村酉三とりぞうとその時代』(手島仁著、みやま文庫)は、その姿のルーツを1930年、群馬会館(前橋市)の完成時に伊勢崎市出身の森村酉三が制作し、中島飛行機創設者の中島知久平が寄贈した義貞像とする

 ▼酉三は帝展に連続入選し、高崎白衣大観音像の原型を手掛けたことで知られる。酉三の義貞像はその後、37年の義貞没後600年などを記念して地元有力者らの手で各地の小学校に建立された

 ▼祈りの姿が義貞のイメージとして定着する半面、戦時色が濃くなりつつあった当時、祈りの姿が軟弱と批判された。戦意高揚にふさわしい勇ましい馬上姿の像を求める声もあったという

 ▼だが、戦後に荒廃した郷土への愛を育てようと上毛かるたが制作された際、GHQ(連合国軍総司令部)の検閲で高山彦九郎や小栗上野介らが不許可となる中、義貞の札は残った

 ▼同著はその理由の一つに祈りの姿を挙げ、勇ましい馬上姿であれば警戒され違う結果となっていた可能性を指摘する。酉年の今年は酉三の生誕120周年。節目の年に改めて郷土の芸術家が祈りの姿に込めた思いを考えてみたい。