前回まで、音楽が調和していること、そしてそれを広める手段として幼少期の貴重な体験の必要性をつづりました。今回は少し視点を変えて私たちのこと、つまり音楽を伝える側の音楽家の仕事について考えます。
「音楽を仕事にしたい」。音楽の好きな子ならば一度は考えそうです。クラシックであれポップスであれ、なかなか難しいことですが、どうしたら良いのでしょうか。
ここで音楽家の仕事の歴史を見てみましょう。西洋では古くは音楽家は教会に雇われていました。バッハは教会でオルガン奏者として演奏し、名曲「主よ人の望みの喜びよ」なども教会のために書かれた作品です。次の時代は宮廷や貴族が雇い主となり、晩さん会用の音楽、結婚式のための音楽など、その時々のイベントに合わせて音楽家が曲を作り演奏しました。料理をしたり、掃除をしたり、服を作ったりという仕事と同じ位置付けでした。雇い主のために必要なものを作るという意味で仕事人的な音楽家です。
その後、アーティスト的になり、現在のイメージに近くなります。誰かのためではなく、「自分の音楽」を表現したいという傾向が強まります。モーツァルトですら、自分の書いた作品が時の皇帝に「音が多すぎる」と言われたとのエピソードがあります。音が多すぎて音楽として良く分からないということです。
芸術は突き詰めていくと自分独自の世界を創造することになり、それが行き過ぎると社会とのつながりを失ってしまうこともあります。仕事の本質は皆の問題を解決することにあるので、社会との調和がなくなってしまうと結果的に仕事にはならなくなってしまいます。
自分の音楽を表現する時代になって以来、独自のスタイルを求める音楽家の生活が大変なのは今も変わりませんが、これを変えることはできるでしょうか。何せ「音楽で生きていくのは難しい」のは、はるか昔からの固定観念とも言えるので一筋縄ではいきません。
ただ、歴史的に見れば私たちは大きな転換期を生きています。ネット社会と言われるように、個人が発信できる範囲が飛躍的に広がり、現実の世界の他に、ネット上にもう一つの世界があるとも言われるほどです。観光のニュースなどで目にするように、「物から事へ」の流れもあります。つまり何かを経験するなど、心を豊かにすることの価値が増しています。音楽はまさしくこの流れに乗っています。社会との調和と芸術性のバランスを取りながら、創意工夫を加えて新しい音楽家の仕事のスタイルを創造できる可能性があると考えています。
5月に高崎芸術劇場で行うウィーンをテーマにしたコンサートでは、ネットや動画も活用します。新しいことにも積極的に挑戦していきます。
【略歴】ソロ演奏会をはじめアンサンブル、伴奏、オーケストラとの協演など多岐にわたって活動する。元高崎演奏家協会長。前橋高卒。ウィーン市立音大首席卒。
2022/4/13掲載