ウクライナから避難し、いとこのオジブコ・スウィートラーナさん(左端)の元に身を寄せたニホティナ・テチアナさん(右から3人目)ら5人=14日、桐生市

 日本にいても、スマートフォンに届く空襲警報が鳴ると体が震える―。3月、長男(15)と次男(13)、めい(15)と一緒に、ウクライナ西部テルノピリからポーランド経由で桐生市に避難し、いとこのオジブコ・スウィートラーナさん(45)の元に身を寄せるニホティナ・テチアナさん(50)。夫は市民ボランティアとして現地にとどまる。戦争の長期化が気がかり。心は祖国に残ったままだ。

 ロシアの侵攻が始まると隣の州で空港が爆撃された。テルノピリでも1日に5回、6回と警報のサイレンが響いた。当初は子どもたちを約40キロ離れた農村に避難させた。

 国を離れることを迷っていたが、3月4日、欧州最大級のザポロジエ原発が制圧され、逃げるしかないと決意。スウィートラーナさんの母、ナタリヤさん(66)と合流し、以降は5人一緒に行動した。ナタリヤさんも極限の疲労状態に見えた。警報のたびにマンション地下の小さな倉庫に逃げ込み、窓は爆風で割れないようテープで補強、原則消灯の夜は暗闇で体をこわばらせていたという。

 一緒にポーランドに向かった民間バスは南東部マリウポリなど各地の避難民であふれ、子どもや老人、犬を抱えた人も。到着したワルシャワの駅は大勢が疲れて横たわり足の踏み場もなかった。

 3月26日に来日。靴はぼろぼろ、ほぼ手ぶらだったが、桐生市などから生活費や家電の寄付を受け、アパートで暮らし始めた。

 テチアナさんと子どもたちは平穏な時間を過ごしながら、交流サイト(SNS)に掲載される、廃虚と化した町や遺体などの画像を見続けている。気持ちが陰り、受ける心の傷も大きいが、母国との数少ないつながりを手放すことはできない。

 スマホの設定は現地時間のまま。テルノピリが朝を迎えるころ、夫に安否確認の電話をするのが日課になった。自動車修理工だった夫は昼は食糧などを運ぶボランティア、夜は町をパトロールしている。

 「パパに会いたい。友達に会いたい」と訴える長男のノートには、プーチン大統領が殺される落書きがあった。現地のオンライン授業を受け、午後3時から深夜までパソコンに向かうが、集中し続けることは難しい。現地に空襲警報が出れば即座に授業は中止になる。

 4月中旬には西部リビウも攻撃された。「戦争が長引けば周囲の国は飽きていく。(2014年の)クリミア侵攻の時からそう。私たちは殺されてきた。私たちのことを忘れないでほしい」