湯畑そばに建つホテル一井
湯畑を眺められる客室
草津温泉観光協会会長も務める薫さん。温泉街の歴史とともにホテル一井が存在する
1901(明治34)年の一井旅館が描かれた図
一井旅館に宿泊したベルツ博士(左)

 日本三名泉に数えられる草津温泉(群馬県草津町草津)の湯畑そばで、江戸時代から続く老舗旅館のホテル一井。大火や戦争、災害など幾多の難局を乗り越えながら、温泉街の栄枯盛衰とともに歩んできた。新型コロナウイルス感染症が収束しない今も、草津のにぎわいを次世代へとつなげるため、変革を続けている。

 次代への責任

 その光景を一目見ようと、全国から観光客が集まる草津温泉の湯畑。この春も大学生の卒業旅行客ら多くの若者が詰めかけた。群馬県を代表する観光スポットを、客室から臨むことができる一等地にホテル一井がある。

 旅館は3棟で客室119室、収容人数510人。湯畑を眺望できる27室(1人1泊2食付き2万円前後から)はすぐに満室になる。「正月に来たお客さまが、また来年の予約も入れて帰って行く。この場所で商いを続けてきた先祖のおかげ。浮き沈みがあってもそれぞれの時代に工夫しながら生き延びてきた」。同館の女将(おかみ)、市川薫さん(75)は語る。新型コロナの影響を受け、現在は100室250人規模で密集を避けながら運営する。

 2018年から11代目の社長を務めるのは、薫さんの長女の忍さん(50)だ。「その時代の当主は一人。当主には次代に思いをつなぐ責任がある」と、父の紘一郎さん(故人)の言葉を胸に刻み込む。

 同社に残る記録によれば、江戸時代中期の1700年代後半、市川与五右衛門が湯畑近くに居を構え、米屋を営んだ。その後、1797年に生まれた初代の善三郎が「一井旅館」を始める。

 ベルツ博士

 1869(明治2)年、温泉街は大きな不幸に見舞われる。町の大半が焼けた大火だ。一井旅館の歴史的な資料は、この大火でほぼ焼失した。

 草津温泉は高冷地のため冬の暮らしは難しい。当時はより標高の低い旧六合村地区に「冬住み」する家が多かった。市川家など旅館経営者は、冬住みに使っていた旧六合村の家や土地を担保にしたり、売却したりして金を工面し、商売を再開させた。温泉街から「冬住み」する習慣もこの頃なくなり、草津への定住が始まった。

 明治初期、西洋の文化や技術を取り入れるために「お雇い外国人」として招かれたドイツ人医師、エルウィン・ベルツ博士(故人)は、草津温泉の湯治に着目した。草津に何度も足を運び、1878(明治11)年以降、一井旅館にたびたび滞在。博士と一井旅館の主人らを含む地元の人々との交流により、山奥の温泉街には次第に西欧の文化が取り入れられていく。

【企業データ】
▽本社   草津町草津
▽創業   江戸時代中期
▽従業員数 142人
▽事業内容 温泉旅館業

江戸時代中期 一井旅館創業
1869年 草津大火で建物焼失。後に再建
1907年 辰巳館が完成
 50年 ホテル一井として法人化
 72年 辰巳館を解体し8階建て本館を新築
 82年 8階建て別館を新築
 85年 隣接地の西館を購入し改装
2003年 露天風呂を新設
 21年 大浴場を改装

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