「歴史が刻まれた飯ごうを役立てたい」と話す島田儀一郎さん

 太平洋戦争の激戦地、ペリリュー島から生還した旧日本兵が持ち帰ったとみられる飯ごうを群馬県高崎市倉賀野町の島田儀一郎さん(94)が保管している。日本軍1万人がほぼ全滅し、生還者がわずかな中、兄の三次さん(故人)が1946年に復員した際に渡された。戦中から復員まで過酷な食料事情を支えた飯ごう。「捨てて」と渡されたが、「(兄の)生きていくという思いや戦争の歴史が刻まれている」とずっと取っておいた。「何かに役立てたい」と考えている。

 ペリリュー島は太平洋の国パラオにある小島。島を守る日本軍1万人とアメリカ軍4万人が戦った。持久戦を展開した日本軍は74日間でほぼ全滅したとされる。

 儀一郎さんによると、三次さんは現在の高崎市上中居町出身で23(大正12)年生まれ。徴兵検査を受け、42(昭和17)年に宇都宮の部隊に入隊した。ペリリュー島に送られ、終戦の1年後に復員して実家に戻った。その後、旧国鉄に勤め、60歳代前半で亡くなった。

 復員時は腹がふくれ、足首と太ももの太さが同じでやせ細り、栄養失調のような状態だったという。戦闘の話はほとんどしなかったが、ヘビやトカゲ、ネズミを食べた話を聞かされた。主食はサツマイモ。復員後、日本では食べない部位を捨てようとすると「もったいない」としきりと話したらしい。

 飯ごうは食料を求め、生き抜く日々を支えた物とみられる。「いらない」と渡されたが、捨てることができず、現在の家に移ってからもずっと保管していたという。表面はやや黒ずんでいるが、保存状況は良好で「昭一七」と入隊の年が刻印されていることも確認でる。

 戦争遺跡に詳しい河北外国語大講師の菊池実さん(高崎市)は詳細は確認していないとした上で「南方のどこかでアメリカに収容されていたのだろう。飯ごうは生き残る上で必要不可欠な物だったはずで貴重」と話している。軍装品に製造時期が刻印されることは多いという。
 儀一郎さんは4月17日付上毛新聞「週刊風っ子」で漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」の存在を知った。激戦地での歴史が刻まれた飯ごうを後世に引き継ぐために、作者の武田一義さんらに譲ることができないかと考え、上毛新聞社に相談の手紙を寄せた。