はいていたチェック柄のズボンを見て、少しふざけ合った。「生まれたら、おそろいにしたりしてね」

 夫妻は、不妊治療を受けに群馬大医学部付属病院(前橋市)の待合室にいた。2012年の結婚後、間もない頃だった。

 10年後、夫妻は子どもがいない生活を送っている。

 「1人くらいは授かれれば良いと思っていた」と夫。当時44歳、42歳だった夫妻は急いで外来へ。夫に抵抗感はなかった。「簡単に考えていた。例えば、顕微授精まですればできるだろうと。知識がなかったんですね」

 タイミング治療、体外受精、顕微授精。受精卵の写真を、おなかに忍ばせたこともあった。一度も着床しなかった。何度痛い思いをしてがっかりして、泣いただろう。区切りと決めていた妻が45歳の時、治療を止めた。

 「通院を誤解されて『おめでただね』って言われることが、結構あって。そのギャップも妻の負担になるのではと考えた」

 「2人で外出中に、彼の友人から『子どもが生まれた』って電話があった。この時が一番つらかった」

 諦めた後も、子づくりを勧める周囲からの声は、しばらく絶えなかった。

 夫は一度、里親などについて妻に水を向けたことがある。妻は、関心がない訳ではないものの、なぜか気が乗らなかった。「また負担になるかもしれない」。以来、夫はその話はしていない。

 どれくらいたってからだろうか。妻は、治療中は意識していなかったことに気付いた。

 「先輩の夫婦で、2人って方が案外多くて。子ども中心ではなく、それぞれやりたいことをしつつ、仲が良い夫婦。いるんです」

 街歩き、カフェ巡り、骨董(こっとう)市の散策。夫妻は一緒の時間をこうして過ごす。

 「子どもを育てられることは、ものすごくうらやましい。ただ時間を費やすのも事実。それを私たちは別のやりがいに回せる」と夫。妻は、子ども中心のあまり、互いへの興味が薄くなっている夫婦が気になることもある。

 不妊治療にも感じることはある。「私たちは短く区切れたけれど、若くして始めて、続ける人はどうだろう。お金もかかるし」

 子どもがいたら割いていた時間や力を、夫妻は仕事にも充てる。伊勢崎市議の夫。「きれいごとかもしれないけれど」、通学路の安全をはじめ、地域の子どもが健やかに育てるよう取り組む。学校で読み聞かせをすることも。妻は学校薬剤師として地元の子どもたちを見守る。

 妻は、友人の結婚式で聞いた大学の恩師の言葉を、いつも頭に置いている。〈家庭は人生の学校である〉。かつては子どもがいるからだと考えた。いなくてもそうだと、今は思う。

 ご意見をメール(inochi@raijin.com)でお寄せください。