スタートを待つ選手たちにステージから手を振る鏑木さん(右)=4月22日午後4時ごろ、富士山こどもの国
選手としてUTMFを走る鏑木さん(右)。選手やスタッフと話しながらゴールを目指した=4月22日午後6時半ごろ

 新型コロナウイルス感染症による2年連続の中止を経て、国内最大のトレイルランニングレース「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」が4月22日~24日に開催された。大会会長でもあるプロトレイルランナーの鏑木毅さん=群馬県桐生市出身=にとっても、つらく苦しい2年。今回は初めてランナーとして走り、ボランティアや選手に感謝の声をかけ続けた。3年ぶりの大会を無事に終えた鏑木さんに思いを聞いた。

 「UTMF参戦記 上」はこちらから

心に重り

 -新型コロナで2年連続中止になった。

 正直苦しい2年だった。2020年はコロナがまだよく分からない存在だったので、中止の判断はやむを得なかった。21年は対策をしていたものの、社会状況や空気、さまざまな意見の中でできなかった。特に選手は「できる」という期待の中で準備をしてきたのに、大会前1カ月半を残して中止を決めるしかなかった。

 100マイルは相当な犠牲、時間を捻出してトレーニングするなど年単位で準備が必要。私もUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)が中止になった時の喪失感は計り知れないものがあった。それを分かっていたので、つらかった。いつまでも心の中に重りを抱えているようだった。

 -今回は開催するに当たって体制を変えた。

 2回の中止を受け、運営体制を大きく変えた。絶対とは言えないが、開催確率をできる限り高めようと考えた。今までは自治体が主催者として実行委員会に入っていたが、自治体には共催になってもらった。自治体が開催を難しいと判断をしてもできる、そういう選択肢を取れるような体制にした。

 エイドやサポートなどの感染対策もレベルアップさせた。抗原検査も入れた。ただ100マイルはコロナだけでなく、天候のリスクもある。コロナをクリアしても手放しで絶対開催できるとはならない。ギリギリまで不安だった。2回中止のトラウマからネガティブな方に心が動いたが、日が近づくにしたがって「もう行くしかない」と思えた。

ついに夜明け

 -開会式での言葉に3年分の思いがこもっていた。

 本来であれば、2年前に会えた人たち。スタート会場の壇上に立つと、ブワァーっと選手たちが見える。グッとくるものがあった。皆さんの「気」を感じた。開催する側の「気」と選手の「気」が重なり合ったような、圧倒される雰囲気があった。

 UTMFは日本で一番大きな大会なので、ここの判断がほかの大会に与える影響は大きい。開催は大きなメッセージになる。昨年まで先が全く見えない暗闇の中を進んでいたが、ついに夜が明けた。晴れ晴れした気分だった。選手はもちろん、トレイルランニングに関わる業界の人からも「ありがたかった」「先が見えた」とメッセージをいただいた。

走ることでお礼

 -初めてランナーとしてUTMFを走った。

 昨年が10周年だったが開催できず、今回はメモリアルな大会にしなくてはいけないと思っていた。自分に何ができるだろうと思ったとき、特別なことってやはり走ること。3日間の大きな大会なので、山の中やエイドにスタッフがたくさんいて、テントを張って張り付いたりしている。その人たちに10年間の感謝の気持ちを伝えたかった。

 自分が走ることで、そういう人たちに立ち止まって直接お礼をしていくというのが、すごく重要なことかなと。一番後ろからスタートすれば選手一人一人にも会える。ずっと開催できなかったことへの、申し訳ない気持ち、感謝の気持ちも込めて、必ず一声かけていこうと決めていた。

 われながらいい大会だというのが走った感想だ。みんな100マイル(という距離のレース)を走りたくて参加しているのかな、と思っていたが、このUTMFを走りたいんだということが分かった。こういう祭りのような場を求めてきているんだと実感した。誘導の人や選手たちも大会を愛してくれていると肌身で感じた。本当に走ってよかった。

 

 -大会に関わるたくさんの人とのコミュニケーションを心がけた。

 選手から「開催してくれてありがとう」と何百回も言われた。「こちらこそ、何年も待たせて申し訳なかった」というやりとりを何十時間もした。僕は国際大会を中心に走ってきたので、「走っている姿を始めてみました」「これが世界の走りなんですね」と言われたり。こちらは「今は全然そんな走りじゃないんです」とか、「昔はもっと速かったんですよ」と話していた。

 トークイベントなどもやっているけど、人生でこれほどたくさんの人と夜通し語り続けた時間というのはないんじゃないかな。

 正直、後半はつらくなって話せる余裕もなくなってきたが、今回は感謝を伝えるのがミッションなので、多少時間をつぶそうが、話しかけられたらその人のスピードに合わせ、一区切りついたところで「先に行くね」と走った。いっぱい写真も撮った。

 コロナで試合経験が積めていなかったので、自分も体へのダメージがすごかった。後半は脚が破壊されていく感じ。100キロを超えるレースって年に1度くらいは刺激を入れていかないとダメなんだと分かった。80キロを超えたくらいから疲労がたまって、全くリカバーできなかった。ノーガードでパンチを打たれ続けている感覚。でもいい体への負荷をかけられた。

人生を良く変えたい

 -最後の最後までハードな山登り(霜山)があり、選手は苦しんだ。

 UTMBも最後にすごい山が控えている。すんなり終わらないというのが、UTMBを模した100マイルレースの醍醐味だと思っていたので、そこは大切なパート。確かにきつかった。普段、その山を単体で走るとそうでもないんだけど、150キロくらい走ってきてぼろぼろの状態だときつい。でも簡単にクリアできない大会にしたいと思っていた。

 -多くの人に影響を与え、トレイルランニングの裾野を広げた大会でもある。

 いろいろな人を巻き込んでいたということも感じる。UTMBを走り、日本でもこういう大会を作りたいと思っていた。群馬県職員時代、飛行機で九州に出張したときに富士山を上空から見て得たインスピレーションから始まり、いろいろな人に手伝ってもらいできた大会。たくさんの人を巻き込んで、ある意味でいろいろな人たちの人生を変えたと思う。

 それが「良く変わったのならいいな」といつも思っている。UTMFの映像を見て山を走り始めた人がいる。仕事を辞め、安定した立場を捨てトレイルランニング業界に入ってきたものの、コロナで苦しい思いをした人もいる。責任を感じる。本当に良い方向に変わったのか疑問に思うこともあった。大会を続けることでみんなの人生がハッピーなものに変わるような流れを作っていきたい。そういう決意も今回走ったことでできた。関わった人たちの人生が終わるときに「良かった」と思えるようにするのが、この大会を作った者の責任だ。

故郷でロングレースの夢

 -県内でも複数のレースをプロデュースするほか、赤城山など故郷を舞台にした活動も増えている。

 最近は赤城山でトレイルランニングのセミナーにもコーチとして参加している。群馬はいい山がたくさんある。大会が多く、競技人口も増え、裏方に携わっている人の経験と知識も年々上がってきている。

 例えば赤城山なら単独峰でありながら裾野が長く、一つの山に多くの市町がある。私が生まれ育ち、走った故郷の山々でもいつかロングレースが開催できればいい。そう思うと夢が広がる。

【プロフィル】かぶらき・つよし 1968年、旧新里村(桐生市)生まれ。桐生高―早稲田大卒。県庁職員時代にトレランを始め、2009年、世界最高峰のレース「UTMB」(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)で世界3位。日本トレイルランナーズ協会会長。東京都在住。