▼旧倉渕村には、ちょうど200年前に生まれた俳人・下平可都三(かつみ)(1910年没)のことを「かつみさま」と呼んで慕う人が少なくない。旧水沼村の名主で、幕末から明治にかけて活躍した

 ▼教えてくれたのは倉渕古文書学習会(塚越孝会長)の会員たちだ。可都三には全国に千人を超える門人がいたという。俳画にも優れ、ふすま絵やびょうぶを地元や旧榛名町の古民家に残している

 ▼同会は3年余りかけ、1894年に刊行された可都三の『道の鄙風俗(ひなぶり)』を読み解いた。可都三が敬愛する松尾芭蕉の『奥の細道』の一部を逆コースでたどり、たくさんの句を詠んだ俳諧紀行文だ

 ▼本県を出発し、新潟辺りから奥の細道のコースに入った。同会では白河の関までの行程表や地図、解説も加えて冊子にまとめた。解説などを担当した戸塚祐子さんは「芭蕉愛の強さを感じた」と話す

 ▼高崎市との合併後の2008年に完成した『新編倉渕村誌』の編さん作業では、地域から数多くの古文書が掘り起こされた。『道の鄙風俗』もそのなかの一つだった

 ▼近世を担当した淡路博和さん(安中市)の「地域に伝わる古文書を読める人を地域に作ろう」との発案で学習会は始まった。『道の鄙風俗』の研究は住民による文書解読の成果の一つとなった。「地域の歴史が埋もれてしまうのはもったいない」。会員たちはそんな思いで新たな古文書と向き合っている。