番組を作る時によく古い写真や映像を探す。もちろんテレビ局や新聞社には多くの資料映像が保管してあるが、一般の方々から写真を借りる際、思うように見つけられないものがある。何だか想像がつきますか?

 それは1990年代以降の普通の街の写真やスナップ写真・映像などだ。デジカメや家庭用ビデオが急速に普及したこの時代、たくさんの映像が記録されているはずなのに、それがぱっと出てこない。デジタルデータの保存の方式が次々と変化し、昔の方式や媒体で保存してあるものをすぐに映像として取り出すことができないのだ。

 人物を取り上げるような番組では、必ずその人の幼少期や節目を記録したものがないか探す。昔の映像が欲しくてお願いすると、「たくさん撮ったのでどこかに入っているんだけどね」と古いカメラのデータファイルやパソコンのハードディスクを示すのだが、実際にそこから写真や動画を取り出すことができなくなっているケースが多い。

 例えば昔のVHSのテープを持っていても、再生できるビデオデッキがない。カメラ店などで「古いビデオの映像をDVDに変換します」というサービスを行っているところもあるが、誰もがこうして昔の映像を今の方式に変換しているわけではない。

 古書店で昔の白黒写真が大量に売られていることがある。どこかの家の整理などで流出したものだと思うが、たとえ知っている人が写っていなくても興味深い。服装や髪形、生け垣や路肩のどぶのたたずまい、木の電柱、車や自転車など、時代を反映したものがたくさん写っている。昭和の日常のスナップをまとめた写真集なども好評だが、こうした何げない文化の記録は後に貴重になる。

 デジタルで記録されたデータは古書店などで偶然出合うことは難しい。インターネット上に上がっている映像ならまだしも、多くは個人の古い記録媒体の中に保存されたままになっている。セキュリティー面からも、廃棄されたハードディスクからデータを取り出すことができず、誰かがたまたま探り当てることは困難だ。数百年たって今の時代を振り返った時、映像の記録があまりにも残っていない、などという皮肉なことにならないだろうか。

 映像だけではない。印刷物もしかり。本や雑誌も、きれいな紙に手軽に印刷できるようになったのに、多く使われている酸性紙は100年持たずに劣化してボロボロになってしまう可能性がある。一方で、千年以上前に和紙に墨で書かれた文書は、虫に食われたりしなければ今でもそのまま読める。

 便利になることは、今この瞬間だけが豊かになるということなのか。未来のために、もう少し真剣に工夫しなければいけないのではないだろうか。

 【略歴】1988年NHK入局、「ブラタモリ」などさまざまな番組の企画制作を担当。現在NHKエデュケーショナルで番組制作に携わる。太田市出身。早稲田大卒。

2022/5/18掲載