▼昭和の名人・古今亭志ん生の名調子で落語「塩原多助 道連れ小平」を聞いた。多助が盗っ人の悪事を見破り、得意先の危機を救って大団円。〈本所に過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋塩原〉という決めぜりふが爽快だ

▼幕末から明治にかけて庶民の娯楽として人気を集めたのが落語である。なかでも三遊亭円朝は人情噺(ばなし)や怪談を得意とし、「文七元結(もっとい)」や「牡丹灯籠」「真景累ケ淵」など数々の名作を生み出した

▼江戸に生まれ、数え7歳で初高座を務めた。17歳で円朝を名乗って真打ちに。三味線などで盛り上げる鳴物噺で人気が出たが、ねたんだ師匠が準備した噺を毎回先に演じてしまう。困った円朝は自分にしか演じられない噺をやるしかなかった

▼上州とも縁が深い。沼田や四万、前橋、高崎などを旅し、その見聞は「塩原多助一代記」「霧隠伊香保湯煙(きりがくれいかほのゆけぶり)」「安中草三(そうざ) 後開榛名梅香(おくれざきはるなのうめのか)」として生かされた。地名や名所が登場するだけでなく、養蚕なども描かれる

▼羽織の紋は高崎藩主・大河内松平家ゆかりの「高崎扇」。敬愛する義兄が住職となった小石川の是照院は大河内松平家の菩提(ぼだい)寺であり、寺の紋も高崎扇。円朝は許可を得て、高崎扇を高座着に付けるようになった

▼名人芸と言われた高座や速記本は二葉亭四迷の『浮雲』をはじめとする言文一致運動に影響を与えた。県立文学館の企画展「落語と文学」で魅力の一端を紹介している。