4年前、三重県で開催された全国網膜色素変性症患者会の東海・北陸地区のリーダー研修会に講師として参加しました。参加者が互いに声をかけ合って相手を確認し、久しぶりの再会を喜び合う場面が見られ、とても和やかな雰囲気でした。

 白杖(はくじょう)を使って注意深く移動し、周囲の状況を介助者に確認するなどの不自由さはありますが、講義が始まると熱心に耳を傾け、グループワークでは活発に意見を交わしていました。そこにはたくさんの困難を乗り越え、同じ立場で支援するピア・サポーターの方々の姿がありました。

 網膜色素変性症は、目の一番奥にある網膜の病気です。網膜には光を感じるセンサーのような役割をしている視細胞があり、カメラで例えるとフィルムの部分に当たるそうです。暗い所で物が見えにくくなったり、視野が欠けたりしますが、何十年もかけてゆっくり進むので、進行してから診断を受けることもあります。徐々に視野を失い、生活の不自由さが生じるつらさを「真綿で首を絞められるようだ」と表現した患者さんもいます。

 一郎さん(仮名)も30代で診断を受けてから、「いつかは見えなくなる恐怖」と向き合う日々を送っていました。家族や親戚に同じ病気の人はいません。初回の面接の時、一郎さんは「どうして俺だけをこんな体に産んだんだ」と、泣きながら怒りの感情を母親にぶつけました。

 それから時々、一郎さんから電話がありました。「どうしてこんな病気になってしまったのか」と嘆き悲しみながらも、「車の運転をやめたよ」「職場の近くに引っ越した」「母ちゃんを泣かしちゃって、すまないことをした」「上司に病気のことを伝えたら、『できるだけ長く働いてほしい』と言われた」「(視覚の低下によって日常生活や仕事などに感じている困難をケアする)ロービジョン外来を受診しようと思う」などと、話しながら少しずつ気持ちを整理しているようでした。

 一郎さんが「休職して、障害年金を受給しながら今後の人生を考えたい」と決めたのは、最初の面接から10年後のことでした。

 一郎さんの悲しみやつらさは消えたわけではありません。今でも眠れない夜があるといいます。つらい時は「つらい」と言っていい。泣きたい時は泣いていい。不安や悩みは繰り返し語ってもいいのです。嘆き悲しむことは、心を整理するための準備運動で、悩みは前向きになるための原動力です。

 難病は人類が存在する限り、発生を避けられない原因不明の希少疾患です。偶然、その運命を背負うのはあなたかもしれません。「もし、自分だったら」と想像力を働かせ、難病患者さんの不安や悩みに心を寄せていただくよう願います。

 【略歴】2004年から現職。14~19年、国の指定研究班で難病相談支援センターやピア・サポートに関する研究に従事。保健師、認定難病看護師。群馬大大学院修了。

2022/5/29掲載