店内は新築当時(1933年)の梁や柱が残る
黒砂糖を何度も塗って仕上げる。せんべいを挟むトングは特注品
せんべい作りの歴史を語る5代目の吉田泰彦さん
整形した生地を丁寧に乾かす

 江戸時代末期に創業した三俣せんべいが、代々大切にしてきたのは「信用と誠意」という信念だ。5代目の吉田泰彦さん(80)は「お金は一晩で築けるけれど、信用は一晩では築けない」と話す。

老舗三俣せんべい (前橋市三俣町)(上)の記事はこちら

 戦中と終戦直後の食糧難からせんべいの原料のコメが手に入らず、竿(さお)ばかりの製造やパンを作ってしのいでいた同店。ようやく米が手に入り始め、せんべい作りに専念できるようになったのは1952(昭和27)年ごろのことだった。3代目の梅太郎が開発し、同社の看板商品となっているソースせんべいや、黒糖味のせんべいが主力商品となった。

取引先が協力
 56(昭和31)年に4代目を継いだのが泰彦さんの父、千代作さんだった。59(昭和34)年に三俣せんべいを有限会社化。長年にわたり、全国米菓工業組合の常任理事などを務めた。6代目の将輝社長(54)は「会社のことだけでなく、業界や組合のことも考える人だった」と振り返る。

 製法も味も変えず、三俣の地でせんべい作りを続けてきた同店だが、危機に直面した歴史もある。65(昭和40)年には事業拡大に伴い、敷地内に工場を新設したが、建設費の返済が計画通りに進まず苦しんだ。

 仕入れ先に事情を話し、しょうゆや包装フィルムなどの代金の支払いを待ってくれるよう頼んだ。どの仕入れ先との間にも、これまで築いてきた信頼関係があったからこそ、結果的に一社も取り引きを止めることはなく、危機を乗り越えられた。オイルショックの原材料不足も、同様に取引先の協力で乗り越えた。泰彦さんは「あの時の恩があるから今がある。今も恩を返し続けている」と話す。

本店の建物残す
 大豆アレルギーの子どものためのせんべい作りなど、革新的な取り組みにも挑戦してきた泰彦さんが社長に就任したのは90年。積極的に直営店のテナント展開に取り組み、2005年に開発した黒胡椒(こしょう)味のせんべいをヒットさせるなど、手腕を発揮した。

 長男の将輝さんは08年に社長となった。現在は県内のスーパーマーケットやショッピングモールに加え、道の駅などへ販路を拡大している。

 13年には本店の改修に着手した。老朽化はしていたが、「一度壊したもの、特に歴史のあるものは二度と同じものが造れない」。そう考えた将輝社長は極力、外観や内部の柱、梁(はり)などを後世に残す道を選んだ。泰彦さんも同じ気持ちだった。建物は20年に前橋市景観資産に認定された。

 将輝社長は言う。「三俣せんべいは『三俣に行くとせんべい屋がある』ということで、お客さんからもらった名前。この地だけは離れられない」。店の象徴である本店の建物とともに、いつまでも看板を守っていく決意をにじませる。

【取材後記】進化続ける力強さ
 三俣の地に根差し、160年以上にわたり歩んできた老舗三俣せんべい。「小まめに裏返すのが当店のせんべい作り」と受け継がれてきたこだわりを聞き、かみしめながら食べると、せんべい作りにかける思いに触れられた気がした。

 本店の改修では、信念を持った選択で保存する道を選んだ。常連客から「残してくれてありがとう」と感謝されたと聞き、地域から愛される存在であることを実感した。

 吉田将輝社長は「今の店があるのは、これまで関わった全ての人たちのおかげだ」と語る。折々の時代の潮流に合わせ、黒糖やソース、黒胡椒など新たな味わいのせんべいを世に送り出し、若者向けの新商品も開発している。伝統を守りながら進化を続ける姿勢に、老舗の力強さを学んだ。

>> シリーズ《老舗のDNA 群馬の百年企業》の記事をもっと読む