東日本成人矯正医療センターから出所し、報道陣の取材に応じる重信元最高幹部=28日午前8時10分ごろ、東京都昭島市の公園
出所した重信元最高幹部。車から降りると、支援者や報道陣に取り囲まれた=28日午前7時55分ごろ、東京都昭島市

 連合赤軍の源流、赤軍派を経て1970年代に数々の国際テロを起こした「日本赤軍」の重信房子元最高幹部(76)が28日朝、東京都昭島市の東日本成人矯正医療センターを満期出所した。約21年半の勾留・服役を終え、社会復帰した。

 重信元幹部は出所後、報道陣の取材に応じ、日本赤軍の活動について「50年前、自分たちの戦闘を第一にしたことで、見ず知らずの人に被害を与えたことがあった。おわびします」と語った。連合赤軍事件などで仲間を失ったことも重く受け止めているとした。

 がんを患っており、友人や刑務所関係者ら多くの支えがあって生きて社会復帰できたと感謝した。今後は「さまざまなことに好奇心を持ち、まずは治療に専念する」という。

 「一方の情報、警察情報といったものだけをうのみにせず、テロリストと言われる人がいれば、なぜその人がテロリストと言われるのか、意図を読み取ってほしい」とも述べた。

仲間の死、重く受け止め 山岳アジト事件で「親友」亡くす

 日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)は、1971年12月~72年2月に群馬県の山中で連合赤軍の構成員同士が殺害し合った山岳アジト事件で「親友」らを亡くした。社会復帰した28日、報道陣の取材で今後このことを重く受け止めて生きるか問われると、何度もうなずき「それは、もちろん」とはっきり答えた。

 同日朝、東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)を出る際は柔らかな表情で、車の窓を開けて支援者に手を振った。白いシャツに灰色の上着を羽織り、マスクと黒っぽい帽子を着けていた。

 近くの公園で取材に応じた。色白で髪も白く、受け答えの声はやや小さかった。だが強い日差しの下で背筋を伸ばし、数多く集まった報道陣を見渡して淡々と語る様子は、過去の映像などに通じるたたずまいを感じさせた。自らの足でしっかり歩いていた。

 山岳アジト事件で、特に親交が深かった女性=享年(25)=ら旧知の構成員が複数死亡した。50年後の今年1月には、同時代の責任と反省を負っているなどとする手紙を獄中で記した。

 この日、新左翼運動を通して仲間が亡くなった事実を重く受け止めるか上毛新聞の記者が尋ねると、「それは、もちろん」と改めて認めた。

 社会復帰について「生きて出てきたなという感じが強くあります」と話した。約21年半を経た日本社会を「あまりに昔と違い、政治家が一つの方向に流れている」と評した。

 出所には重信元幹部の代理人で、連合赤軍事件の法廷でも永田洋子元死刑囚(2011年に65歳で病死)を弁護した大谷恭子弁護士(72)らが付き添った。

 一方、連合赤軍の構成員でもあった坂東国男容疑者(75)を含め、日本赤軍の構成員7人が今も国際手配されている。生存をにおわせる関係者もいる。

 群馬県警は「構成員が日本に潜伏している可能性も否定できない。関係機関と連携し、摘発や活動実態の解明に取り組みたい」とした。捜査関係者は、重信元幹部自身がかつてひそかに日本へ帰国し、潜伏していたことを念頭に「(重信元幹部が日本赤軍について)解散を表明しているからといって、捜査機関として『はい、そうですか』とは言えない」と警戒している。