重監房資料館に隣接して立っているのが栗生楽泉園の納骨堂です。国立ハンセン病療養所として1932年に楽泉園が開設して以来、今日までに2036人の入所者が亡くなり、1216人の方が納骨堂で眠っています。

 納骨堂はお墓です。一般に病院には霊安室はありますが、決してお墓はありません。ハンセン病療養所にお墓がある、その背景を考えてほしいのです。それは国による誤った強制隔離政策のために故郷や家族との絆を強制的に断ち切られ、墳墓の地に帰ることができなかった入所者が大勢いた事実を端的に示しているのです。

 2019年11月、納骨堂の前に「人権の碑」が建立されました。碑の裏面を見てください。そこに楽泉園開設以来、毎年何人の物故者がいたのか、数字が刻まれています。

 私は、本当ならば、墓誌には亡くなった方の名前を刻むべきだと考えます。沖縄戦で亡くなった全ての方の名前を刻む、平和祈念公園の「平和の礎」のように。しかし、それがまだかなわない現実があります。名前が刻まれることで、もしかしたら家族や親族に迷惑がかかるのではないか。昔のように社会・世間から迫害を受けるのではないか。そのように考える入所者が少なくないのです。

 ハンセン病の回復者の名前にまつわる悲しい話に「園名」があります。療養所で暮らしていくのに、親からもらった名前ではなく、偽名を使うのです。本名を名乗ることで家族に迷惑がかかることを恐れての措置、あるいは家族や故郷への思慕を断ち切るためだったと聞いています。

 ハンセン病の回復者にとって社会は、今なお自分の病歴を他人に気軽に話せる状況ではありません。それだけでなく、社会・世間の偏見・差別に身構えて自分の本名も名乗れないというのです。ひどいことではありませんか。実は納骨堂には、園名のままで眠っている方が少なくないのです。

 人権の碑には「納骨堂からの遺言」という刻字が添えられています。納骨堂に静かに手を合わせる時、「私たちのような悲しい思いをする人間をもう一人も出さないで」「二度と同じ過ちを繰り返さないで」「私たちのことを忘れないでほしい」「もっと知ってほしい」-。そんな声が聞こえてきます。

 こうした「遺言」に耳を傾けてください。遠からず人権の碑に本名を刻める日が来るべきだと感じるはずです。それはハンセン病回復者の名前を取り戻す「名誉回復」といえるでしょう。納骨堂に合掌し、刻まれた名前に触れて、「〇〇さん、そこにいたのですね」と声もかけられます。

 その実現には、まずは社会が変わらなければなりません。私たち一人一人が自覚的に偏見・差別をなくす必要があるのです。

 【略歴】2009年から国立ハンセン病資料館勤務。重監房跡の発掘調査、資料館設立に関わり、17年から現職。東京都出身。東京学芸大―東洋大大学院修士課程修了。

2022/5/30掲載