▼1582(天正10)年6月に起きた神流川の合戦は厩橋城主滝川一益と小田原城を拠点とする北条氏の戦いである。7万もの軍勢が上野・武蔵国境の神流川付近でぶつかった。戦国の関東最大の野戦とされる

 ▼およそ350年後の1930(昭和5)年7月、神流川でもう一つの戦いがあった。群馬・埼玉の住民1500人が川を挟んだ河原で石を投げ合い大乱闘。けが人も出て、当時の上毛新聞は「鍬の刃先も物凄く」「狂奔する両村民」など物々しい見出しで伝える

 ▼「神流川の石合戦」といわれる騒動の原因は水だ。深刻な干ばつに見舞われ、取水を巡って対立が激しくなっていた。流域の水利事業が完了し、安定供給が実現するのは50年後のことである

 ▼水との格闘は古来続く。先人は水路を造って川から水を引き、田を潤し、地域を豊かにした。天狗岩用水は江戸時代初め、総社藩主秋元長朝が荒廃に苦しむ領民を救おうと難工事の末、完成させた。利根川の水が前橋、高崎、玉村の田に恵みをもたらす

 ▼天狗岩とともに世界かんがい施設遺産に登録されている雄川堰(甘楽町)と長野堰用水(高崎市)も江戸時代には既にあり、今も現役で暮らしを支える。歴史や役割を知ると、身近に流れる農業用水のありがたさが分かる

 ▼県内各地で田植えが始まっている。黄金色の地帯ももうじき一気に景色が変わるだろう。水をたたえた田もまた美しい。