興味深い映画を見た。「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」。監督はマルー・ライマン、デンマーク人の女性である。
主人公は郊外で暮らす11歳の女の子エマ。サッカーチームに所属する元気な子だ。エマは、パパとママ、姉のカロリーネの4人で暮らしている。ある日突然、両親が離婚すると言い出した。驚くエマたちに告げられた離婚の理由は「パパが女性として生きていきたいから」。監督の実体験を映画化したというこの映画では、エマの視点から細やかに思春期の少女の葛藤を描いている。
トランスジェンダーという言葉をご存じだろうか。生まれた時に割り当てられた戸籍の性別(体の性)と、自分自身の思う性別(性自認)とが異なる人々、状態を指す。「私は私である」というアイデンティティーは、誰からも侵害されることのないその人の権利、人権であり、同様に、自分の自認する性で「普通に」暮らしていく権利も人権である。
日本には「性同一性障害特例法」がある。医師の診断、成人(18歳以上)、未婚、未成年の子がいないことを条件に、外科手術によって永続的に妊娠能力を欠いている、手術によって性器の外観が変更後の性別に近似していることで戸籍の性別は変更できる。
しかしながら、証明を求め、手術が要件になるなど当事者に身体的・心理的・経済的に大きな負担を強いることが、人権の問題として国際的に指摘されている。当事者は、手術を選択する人、手術をしないで性別を変えていく人もいるが、どちらにしても社会的に傷つけられることも多く、心理的な葛藤や苦痛を抱えながら生きている。
「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」では、大好きなパパの性のカミングアウトを前に、エマはその事実を受け入れられない。パパであるトマスは「これからアウネーテと呼んでほしい」とその決意を伝える。「ずっと悩んできたんだ」とやっと告白すると、エマは「じゃあ、どうして子どもをつくったの」と叫ぶ。心が張り裂けそうなせりふだ。思春期の少女はその感情を父親にぶつけていく。家族のカウンセリングの場面では子どもたちにとって「今何が必要か」が話し合われる。
この映画は、トランスジェンダーの当事者が自己のアイデンティティーを生きていくことの難しさを、少女の目を通して伝えている。パパを失う悲しみ、寂しさ。深い痛みを抱えながらも、娘たちに向き合い寄り添い続ける「パパ」としてのアウネーテ。エマは友達の心ない言葉に傷つきながらも、変わらぬ愛情を確かめながら乗り越えていく。
それぞれが悩み苦しみながらもその事実を受け止め、新しい家族の在り方を模索していく「希望の物語」だと私は考えている。
【略歴】岡山県の養護学校や岡山市男女共同参画相談支援センター、香川大特任教授を経て2014年から群馬大講師。デートDV防止全国ネットワーク理事。東京都出身。
2022/6/10掲載