自社の製品を持つ社員とともに。社員教育にも熱心な松田さん(右手前)

 日本社会が安保闘争や学生運動に揺れていた1960年代、群馬県からブラジルへ、単身で海を渡った青年がいた。

 「日本はこれからどうなるんだろう。それなら、ブラジルで一旗揚げよう。自分を試そう。そう考えてね」

 松田典仁さん(85)=ブラジル・サンパウロ州=は37年、旧群馬町(現高崎市)に生まれた。地元の小中学校をへて前橋高へ。地球の裏側に渡ったのは、大学を卒業して程ない頃だった。

 当初は電気が通らず水道もない奥地の養鶏場で働いた。それからサンパウロ州にある自動車部品の会社に勤めた。部長まで昇進し、生活は安定した。

 それでも開拓者精神は消えることがなかった。「ここで満足したら終わり。自分のやりたいことをやろう」

 92年、健康食品の製造販売などを手がける「MNプロポリス」を創業した。55歳だった。養鶏場時代にプロポリスを知り、関心を温め起業する10年前から研究を続けていた。

 約15億円、120人超。グループを含めた同社の現在の売上高と社員数だ。輸出先は日本や米国、中国など17カ国に上る。コロナ下でも好調さを維持しているという。

 ブラジルに生きて62年。会長という立場で今も会社経営に汗すると同時に、現地での群馬県人会会長も務めてきた松田さんは、これまでをこう振り返る。「移民のつらさは言葉ではとても表現できない。相談相手もおらず、自分を信じて誰にも負けない努力をしてきた」

 その目に、コロナ下で3年間帰郷できていない今の母国はどう映っているのか。

 「閉塞(へいそく)感が漂っている。もう少し明るくなってほしい」。日本を基準に物事を考えず、グローバルな視野を持ってほしいと訴える。

 「松田が帰ってきたぞ」。帰国すれば高校時代の友人が集ってくれるのが恒例だ。赤城山や利根川を眺めるたびに心が洗われ、夢を持ち続けようと気持ちを奮い立たせてくれる場所。そんな古里に、今年中に一度帰れることを願っている。