▼道徳的な教訓を詠み込んだ和歌を「道歌」という。〈その道に入らむと思ふ心こそ我が身ながらの師匠なりけれ〉。これは千利休が学ぶ者の心構えを説いたもので、時代を超えて現代にも通じる

 ▼〈火の車作る大工はなけれども己(おの)がつくりて己が乗りゆく〉。「火の車」とは悪事を犯した者が死んだとき、地獄へ運ぶという燃えさかる車のこと。転じて家計が非常に苦しいことを指す

 ▼経営する居酒屋に「火の車」と名付けたのが詩人・草野心平である。1952年3月、文京区田町に開店した。間口1間半、奥行き2間の店内にカウンターとテーブルが四つ。個性的な店主と客でにぎわった

 ▼メニューも変わっていた。炎はウイスキー、耳が1級酒、鬼が焼酎。説明は面倒だったが、客は面白がってすぐに覚え、「おい耳一本」などと注文した。トマトとジャガイモのスープは「夕焼け」、卵の黄身のみそ漬けは「満月」。すべて符丁のようだった

 ▼店には草野作詞、クラシック音楽の作曲家・深井史郎による歌があった。〈火の車/きのふもけふも火の車/道はどろんこ/だけんど/燃える夢の炎〉。詩人や絵描きなど多士済々が歌い、文化や芸術を語った

 ▼20代の草野は2年ほど前橋で暮らし、上毛新聞で校正係として働いた。その間、本県ゆかりの詩人らと交流し、萩原朔太郎とはよく将棋を指した。〈憂鬱(ゆううつ)で、退屈そうであつた〉と印象を記している。