▼ライバルといえばどんな組み合わせが思い浮かぶだろう。世代によるが相撲なら大鵬と柏戸、ラグビーなら三洋電機と神戸製鋼。将棋なら大山康晴十五世名人と升田幸三実力制第四代名人を思い出す人もいるかもしれない

 ▼俳句でいえば、正岡子規門下の河東碧梧桐と高浜虚子が挙がる。子規の没後、碧梧桐が新聞「日本」の俳壇選者を、虚子は雑誌『ホトトギス』を継承。だが俳句に対する考え方の違いから袂(たもと)を分かった

 ▼碧梧桐は書家や登山家など多彩な顔を持つ。旧沼田町長を務めた生方誠(せい)とは昭和6年ごろ、法師温泉で出会った。意気投合した2人は翌年5月、奥利根から金精峠越えの旅に出ている

 ▼実はこの頃、碧梧桐は行き詰まっていた。提唱した新傾向俳句は無季、自由律などに分裂。自身はさらにルビ付き俳句へと進み、支持を失った。昭和8年に俳壇からの引退を表明している

 ▼誠との交流は心を癒やしたことだろう。四季折々に訪ねては、山の幸に舌鼓を打った。誠は岩魚(いわな)やワラビ、そば粉を送り、碧梧桐は生方家が経営する店舗「かどふぢ」の看板を揮毫(きごう)した。沼田市の生方記念文庫で開催中の企画展からは親密さがうかがえる

 ▼碧梧桐が亡くなると、虚子は「碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり」という詞書きとともに、〈たとふれば独楽(こま)のはぢける如くなり〉と追悼した。俳句では譲らなかったが、友情は変わらなかった。