▼昨年末に沖縄を訪れた際、沖縄戦で使用された319発の不発弾を爆破処理したというニュースに接した。沖縄では毎年多くの不発弾が見つかっており、1900トンがまだ地中に残されていると推定されている

 ▼太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍が沖縄・慶良間諸島に上陸して地上戦が始まった。空襲や艦砲射撃で使用された弾薬は20万トン。「鉄の暴風」と呼ばれ、一般人9万4千人を含め20万人以上が死亡した

 ▼日本軍は本土決戦を先延ばしにするため、10代の学徒まで動員して持久戦を展開した。戦況が悪化すると首里の司令部を放棄して南部に撤退し、避難していた住民を巻き込んだ

 ▼宜野湾市の安次富美代(あしとみみよ)さんはガマ(自然壕(ごう))に逃れた。「夜明けとともに爆弾が雨のように降る。日が暮れれば海から艦砲射撃が飛んできた。道は倒れた兵士であふれ、うめき声が聞こえた。あまりにも死体が多く、地獄だった」(「沖縄はいま」4月12日付)と振り返る

 ▼最後の激戦地となった摩文仁(まぶに)(糸満市)を含む南部の海岸線は戦後、唯一の戦跡国定公園に指定された。95年に設立された「平和の礎(いしじ)」には本県関係881人を含め、亡くなった人すべての名が刻まれている

 ▼ことしは沖縄の本土復帰から50年。きょうは「沖縄慰霊の日」である。ウクライナではロシアの軍事侵攻が続く。沖縄戦とともに犠牲者を悼み、平和を祈る一日としたい。