幕末から明治にかけて、群馬はまさに和算王国だった。今回と次回で本県の著名な和算家を取り上げる。限られたスペースのため、不十分な点はご容赦願いたい。本県の主な和算家の事績については中央で三上義夫氏、地元では丸山清康氏、道脇義正氏、飯塚正明氏、大竹茂雄氏らの研究がある。

 まず、上州で最初に関流五伝の免許を伝授された石田玄圭(げんけい)とその門人たちを取り上げる。石田玄圭は1749年頃、伊勢崎近辺で生まれたと思われる。成長するにつれ学問に目覚め、利根川を挟んだ熊谷の医師・三浦青渓(せいけい)に師事した。すると師匠は医学の道を進むよう諭す。医学を身に付け、前橋の高井で医業を始める。並行して暦学や和算にも取り組むようになる。

 87年、中国の『授時暦』を基に『暦学小成』を刊行した。この時3人の弟子、新谷表祐・五十嵐専伍・八木幸佐の名前も書かれている。八木は後に江戸に出て、八木林平質として著名な和算家になった。

 和算も会得した石田はこの年、6人の弟子と共に高崎市八幡八幡宮に算額を奉納した。ところが3年後、江戸関流四伝、藤田貞資(現在の深谷市出身)の息子、嘉言から手痛い批評と解術を受けた。衝撃を受けて貞資に入門し、和算研究に大いに励んだ。1803年に免許(見題・隠題・伏題)皆伝となり、関流五伝となった。10年に再び、弟子と共に同八幡宮に算額を奉納。過去碑によれば、石田は17年に68歳で亡くなった。墓は県の指定史跡になっている。

 地元で和算を継承したのは坂本亮春(1772~1857年)である。高崎市棟高町の人で、石田から免許皆伝され、関流六伝となった。11年には、石田の門人8人で榛名神社に算額を奉納している。この算額は県指定重要文化財である。坂本は師の死後、その学統を継いで、子の豊春と共に石田門下の指導者になった。

 石田の門人の一人、黒崎祀則(1769~1857年)は高崎市中里町の人で、03年に坂本亮春と高崎清水寺に算額を奉納している。先の榛名神社の算額奉納8人のうちの一人でもある。

 坂本亮春の高弟である木暮義備(?~1875年)は北群馬郡吉岡町の人で、46年に村の鎮守に奉納した算額は現在、県立歴史博物館に展示されている。その子、木暮義郷が58年に前橋の総社神社に奉納した算額は門人60人の名が書かれており、現存している。

 石田玄圭はかなりの教養人で著作に『文亭随筆』『発蒙荃』などがある。

 県内の主な図書館は『群馬の算額』など和算関係書籍を所蔵しているので、閲覧してもらえるとありがたい。手頃な読み物として丸山清康著『上毛の和算』(1972年、みやま文庫)を紹介する。



県和算研究会副会長 中村幸夫 藤岡市岡之郷

 【略歴】県和算研究会、日本数学史学会所属。民間企業を定年退職後、労働安全衛生コンサルタント業務の中村エス・ファイブ事務所設立。藤岡高―群馬大工学部卒。

2021/08/14掲載