冬はさつまいもがおいしい季節だ。焼き芋にすることはもちろんだが、大学芋、干芋、かりんとうなどの料理やお菓子の材料にも、芋焼酎をはじめお酒の原料にも利用されている。最近では一年中、焼き芋を提供する店も登場しているから、ファンにはたまらない。

 さつまいもといえば、その名の通り薩摩が、つまり鹿児島県が約28万トンで生産量全国1位だ。2位以下は茨城県、千葉県、宮崎県と続く。2位の茨城県と3位の千葉県と足し合わせると、鹿児島県とほぼ同じ生産量になる。

 では群馬県はといえば生産量19位である。10位の埼玉県以下はいわばどんぐりの背比べ、生産量にそれほど差がないのだけれど、県民として少々寂しい。なぜといって、収穫量こそ19位だが、群馬は芋の元になる「苗」の一大生産地だからだ。太田市、伊勢崎市、前橋市などの農家が苗を生産し、全国に出荷している。実は群馬は日本のさつまいも作りにとって欠かせない地域なのである。

 江戸中期、8代将軍徳川吉宗の時代に、農学者の青木昆陽が「蕃藷考(ばんしょこう)」という研究書を記したことは知られている。だが栽培の普及という点から見ると、事実はもっと複雑だ。

 というのは吉宗配下の関東郡代だった伊奈忠逵(ただみち)が、富士山噴火による被災と飢饉(ききん)の被害から民衆を救うために、救荒作物として栽培を奨励した役割の方が、さつまいもの普及にとって重要だからだ。こうして関東各地に種芋が配られ栽培が試みられたが、すべて失敗した。

 上州只上(ただかり)村(現在の太田市)の名主、板橋定四郎も、伊奈忠逵から試験栽培の任を受けた一人だった。定四郎は和算家でもあったが農学研究にも熱心で、丹念に栽培記録を取っている。失敗を重ね、試行錯誤を続ける中で彼はあることに気が付く。

 それが、肥沃な土よりもやせた土地の方が良く、むしろ肥料を与えない方が良質な芋がたくさんとれるという事実だった。要は蔓(つる)ぼけという、栄養の与えすぎで蔓や葉が茂りすぎて、土中の芋がちっとも大きくならない現象を見つけたのだ。これは当時の常識を覆す発見で、青木昆陽よりも早く、具体的で実践的な研究成果だった。

 かくして関東最初のさつまいも栽培の成功は、上州只上村の板橋定四郎によってもたらされた。この由緒にちなんで、太田菓子工業組合発の太田銘菓「定四郎ポテト」が販売されている。おいしいスイートポテトで、さらに地域の歴史も味わえる。

 こうした群馬とさつまいもとの縁は、まだまだ知られていないように思われる。群馬発のさつまいもには生産者にも歴史にも、関東の他の地域に負けない魅力がある。こうした地域資源がもっと周知され、生かされてほしい。



関東学園大准教授 山根聡之 太田市東別所町

 【略歴】2016年に関東学園大講師、18年から現職。専門は経済学史・社会思想史。和歌山市出身。一橋大大学院博士後期課程単位取得退学。博士(経済学)。

2021/03/02掲載