

雪の消えた尾瀬ケ原は、一面に芽吹く草木で風景を一変させ、爽やかな新緑に包まれていた。木道はハイカーで賑わい、湿原に咲く花々に夢中でシャッターを切る人もいる。
ネーチャーガイドの杉原勇逸さん(70)の案内で6月18日、鳩待峠から尾瀬ケ原を散策した。
林道を山ノ鼻へと下る。ブナやダケカンバがみずみずしい新緑の葉を広げ、満開のミネザクラが遅い春を告げる。目を凝らすと控えめで可憐(かれん)な花々。ハウチワカエデは枝から小花をつり下げ、足元にはエンレイソウやニリンソウ、サンカヨウ。オオタチツボスミレにスミレサイシン、オオバキスミレ…とスミレだけでも種類豊富だ。小さく見落としてしまいそうな花々の名を、杉原さんが一つ一つ教えてくれる。

足元の草花に気を取られて歩く間に、杉原さんの耳は野鳥の声も捉えていた。鈴を振るようなさえずりはオオルリ。「木のてっぺんに止まる習性があります。ほら、あそこにいるのが見えますか?」。シジュウカラやコマドリに、エゾハルゼミの時雨が降り注ぐような合唱。静けさに満ちた冬が過ぎ、サウンドスケープ(音の風景)は豊かだ。
尾瀬ケ原の湿原も、一面芽吹いたばかりの緑。シュレーゲルアオガエルの軽やかな鳴き声がこだまする。
湿原には、池塘(ちとう)と呼ばれる大小の池が点在する。時折さざなみの立つ水面に、残雪が白く際立つ至仏山と木道を歩く人の姿が映り込んだ。
山の鼻付近の上田代と呼ばれるエリアでは、水辺にまだミズバショウやリュウキンカが咲いていた。牛首周辺では、星形のタテヤマリンドウがピンクの釣り鐘形の花を付けたヒメシャクナゲと〝共演〟している。池塘の一つをのぞくと、数匹のイモリが遊泳し、淵には赤い毛先に粘液を付けたモウセンゴケ。別の池塘からはミツガシワの白い花が水中から伸びる。竜宮付近では、ワタスゲの白くて丸い穂が風に揺れていた。

竜宮十字路を北上し牛首へ戻る。小さな渦巻きを地表にのぞかせるのはヤマドリゼンマイ。薄緑の芽を茶色いベールが包む。夕刻も近く、ハイカーはまばらになった。静寂に包まれた湿原を、突然ニホンジカが跳ねて横切り、こちらをじっと見つめた。



【メモ】尾瀬ケ原をよく見ると、場所により植生が微妙に異なり、遠目から見るとしま模様を成している。泥炭の地面は周期的に、でこぼこした高低差がある。高低差が高層湿原や低層湿原と呼ばれる地質の差を生み、植生を変える。植物のグラデーションは見えにくい地形を可視化しているのだ。この凸凹は尾瀬ケ原の最大の特徴という。「(微細な起伏のある)微地形で尾瀬国立公園の素晴らしさが際立つ」とネーチャーガイドの杉原勇逸さんは解説する。