26年目の「1.17」がやってくる。

 阪神・淡路大震災発生から15年目の2010年、神戸の地で開催された「世界災害語り継ぎフォーラム」で、天明3(1783)年の浅間山噴火災害について報告の機会を授かった。

 レセプションの席で、お隣させていただいたのが、震災当時の兵庫県知事(2001年まで在職)、貝原俊民氏だった。立ち位置の違いに戸惑いつつ、群馬からこの事例を持ち寄ったことに対し、「震災時に群馬県からの他にない多額の義援金と対応について、その背景には鎌原村の哀話や天明3年浅間災害時の助け合いの精神が県民意識へとつながっているではないか」とのヒントをくださった。

 私にとって、考古学を通して関わってきた「天明3年」という災害史研究の、新たな可能性を授かった一言で、「災害を語り継ぐ」というテーマに導いていただいた契機である。

 230年前の歴史災害からの語り継ぎや教訓といった経験が、群馬の地に暮らす私たちの今日の災害対応ににじみ出ているとすれば、その語り継ぎの流れを可能な限り忠実に復元し、その過程をとらえ直すことが必要なのではないかというテーマである。

 フォーラムでは、拙い報告に「天明3年浅間の例は、防災・減災の言葉が出てくるわけではないが、歴史の出来事や伝わっている文化を知ることを通して、人々の記憶が、防災・減災に向かう機能をもっている」との評をいただいた。

 阪神・淡路大震災発生時の義援金に話を戻そう。県議会図書館で会議録をめくらせてもらった。1995年2月の定例県議会で当時の小寺弘之知事が冒頭で、「私自身も2月4日、市長会長や町村会長とともに兵庫県庁を訪問し、兵庫県知事に会い、お見舞いを申し上げるとともに義援金を渡し、人員派遣など、さらに復興のための全面的な支援、協力の用意があることを伝えました」と述べている。

 94年度一般会計予算より専決として兵庫県に1億円、大阪府に500万円の義援金を送ったほか、医師、看護師等の医療団派遣、一般職員を含む人的支援等々の準備を行った記録が残されている。

 非常時に適切な答弁や対応が求められるのは、どの分野でも変わらない。また、義援金とは、いずれかの動機を持たず、純粋な気持ちで行われる筋合いのもので、その額の多寡をもって比較されるものではない。

 しかし、会議録からたどることができたこの事実と、被災地兵庫県の知事に、群馬県からの義援行為が災害文化との関わりの中で大きく受けとめられていたことに一県民として肩身の広い思いをするとともに、「群馬の減災文化」というテーマの必要性に気付くことができたのである。



嬬恋郷土資料館館長 関俊明 東吾妻町箱島

 【略歴】県内小中学校、県埋蔵文化財調査事業団勤務を経て、2020年4月から現職。東京農業大非常勤講師。国学院大大学院博士課程後期修了。博士(歴史学)。

2021/01/16掲載