2018年6月17日午後、部屋で仕事をしていると、突然ゴーッという不気味な音がした。突風かと思った途端、大きな揺れがきた。この地鳴りを伴った地震(M4.6)の震央は赤城山南麓で、観測史上初めての、群馬県内で発生した最大震度5弱以上の地震となった。これにより、群馬でも直下型地震が発生すると認識した県民も多い。

 歴史をひもとくと、北関東地方西部では、平安時代の818(弘仁9)年に大地震があり、2018年は発生からちょうど1200年目だった。そこで、地盤工学や断層地形学の先生方と、この地震を「弘仁地震」と呼んで、防災キャンペーンを企画し、JR主要駅、高速道サービスエリア、道の駅、役所などでポスターを展示した。

 さらに、シンポジウム、講演会、断層地形の見学会なども行った。シンポジウムには、考古学や活断層の研究者を含め県内外から多くの方々に集まっていただいた。この企画の内容は、群馬大地盤工学研究室の弘仁地震ホームページに紹介されている。

 さて、弘仁地震は、相模湾辺りの海底で発生したと長い間考えられていた。1980年代の遺跡分布調査の際に、赤城山南麓の谷を厚く埋めた赤土に気付いた考古学の方に誘われて、ある日その地層の観察に出掛けた。谷の脇の小高い丘の断面では、古墳時代の火山灰を含む黒土のすぐ上に、地すべりで運ばれてきた赤土が厚く堆積していた。

 その後、周辺一帯にこの地すべりの地層が分布し、多数の遺跡で地割れが見つかっていることが分かった。自分は、赤城山中の急斜面で山崩れが起きた47年カスリーン台風による地変の分布図を入手していたので、両者の分布の違いに気付いた。すでに平野部の遺跡では地震による噴砂が見つかっていたため、私たちは赤城山南麓の地変の原因を地震と考え、直接的証拠の出現を待った。

 意外にも、その発見は早かった。新里村(現桐生市)砂田遺跡では、古代の水田が多数の地割れで壊れていた。地割れの中を、震動による砂層の液状化に伴う噴砂が途中まで噴き上がっていた。そして地割れは、上流側での地すべり由来の泥流で埋まっていた。地震と地すべりや泥流の関係がこれほど明瞭な例は、全国的にも少ない。

 その後、自治体の枠を超えて情報が収集され、被災状況から、地震は818年に発生したことが判明した。弘仁地震は内陸地震だったのだ。広島大の熊原康博准教授(断層地形学)は、震源を太田断層と考えている。

 地震地すべりで、丈夫なはずのローム層がほぐされていると、地盤の強度は高くない。工事では対策がなされると思うが、自分の生活の場の特性や生い立ちを知っておいた方が良い。今でも弘仁地震の影響が残っているのである。



火山灰考古学研究所所長 早田勉 前橋市天川原町

 【略歴】県の金井東裏遺跡出土甲着装人骨等調査検討委員会委員を務めた。専門は自然地理学。長崎県出身。東京都立大大学院理学研究科博士課程中退。博士(理学)。

2020/08/10掲載