福祉の世界で働くことを目指したのは、確か小学校の高学年の頃だった。目標は変わることなく、そこに大好きな「音楽」がプラスされ、音楽療法士になった。大学を卒業して県内の児童発達支援センターに就職した。発達がゆっくりな子どもたちが通う通園施設。学生時代に実習でお世話になった施設で、子どもたちと音楽をする機会をもらい、子どもたちと、先生方に育てていただいた。

 就職後、ある先生が言った。「私の先輩の先生がね、就職1年目は自分のことを給料泥棒と思えって。1年目の新米職員が子どもたちのためにできることなんて何もない。全部教えてもらうんだって」。その通りだと思った。そしてその考えは今も私の根底にあり、その思いとともに現在も仕事をしている。

 前回の原稿で書いた天使になった娘は、児童発達支援センター勤務時代に早産で出産した。産休には程遠い時期に、突然の出産。周りの先生方にとても迷惑をかけた。加えて超低出生体重児・脳出血・後遺症。「障害」が残ることは容易に想像ができた。

 しかし、私の周りにはたくさんの可能性と力を持った子どもたちと、毎日頑張っているママたちがいた。だから、障害受容の一通りの過程は通ったものの、娘の障害も、必要となった医療的ケアも受け入れることができた。

 娘が在宅医療になった後、自分で相談支援事業所を開所した。さまざまな社会資源に出合う中で、市内に娘が通える事業所はもちろんなく、「なければつくればいい」と、伊勢崎市初の主たる対象を重症心身障害児・医療的ケア児とする児童発達支援・放課後等デイサービス事業所を開所した。

 重い障害があっても、医療的ケアが必要でも、住んでいる地域で思いっきり子どもたちが成長できる場をつくりたかったのだ。娘との約束だった。

 ずっと福祉の世界を目指してきた私は経営の知識がなく、雇用主となったのも初めてで、何度も挫折しかけた。それでも何度も立ち上がってきたのは、娘との約束と、もらった役目と、児童発達支援センターで勤務していた経験があったからだ。成長しない子どもなんて誰一人いない。子どもたちはみんな力を持っている。われわれ大人はその力を引き出すほんの少しのお手伝いをするだけ。

 現在、一昔前と比べて「障害福祉」の位置づけと必要性の変化が浮き彫りになってきていると感じる。なんのための「福祉」なのか。誰のための「福祉サービス」なのか。年々増加する障害児通所支援事業所。来年度は報酬改定の年だ。適切な発信をしていかなければならない、そしてもっと深い部分で「福祉のあり方」を考えていかなければならない、と感じている。主語はいったい誰なのか。



NPO法人生涯発達ケアセンターさんれんぷ代表 中林亜衣 伊勢崎市茂呂町

 【略歴】認定音楽療法士、相談支援専門員などの資格を持つ。医療的ケア児等コーディネーター、県重症心身障害児者を守る会理事。東邦音楽大音楽療法専攻卒。

2020/07/25掲載