お父さんに肩車をされている子を見て、言葉を発することはないけれど、目で追っている娘の顔を見て、「ほら行くよー」と娘の目の前にしゃがんだ。娘の小さな身体が私の背中にピッタリとくっついてた。私の頭から前に転げ落としてしまうのではないか…と言う不安を隠し、あたかも慣れているように肩車した。私の精いっぱいの意地だった。

 当時3歳くらいだった娘はあっという間に高校受験生になった。19歳の時に授かり20歳になって間もなく娘を出産した。「子どもを産み、育てるなら地元で」と強い思いがあり、妊娠7カ月の頃に生まれ育った福島県浪江町へ帰郷(移住)をした。中学を卒業して親元を離れて進学した私が、離れてひしひしと感じたのが田舎町の良さだったからだろう。

 今でも生まれて初めて会った時の顔を鮮明に覚えている。初めての感覚、感情、全ては今までに経験したことのない感動とともに私は母親になった。それから、娘が生まれて数年で二人三脚の人生が始まった。若さと勢いで突き進む毎日だったが、困難も多く、精神的にも肉体的にも限界を感じる日々もそこに存在していた。

 いろいろなことに余裕がなくなると、遊んだ遊具の片付けができないとか、ささいなことで娘に当たり散らしてるかのように強く怒ることも増える。話したいこと、見せたいものがあって娘が声をかけてきても、「忙しいから後にして!」と私の口癖が始まっていた。

 一番精神的につらく苦しかった時のこと。寝室で洗濯物を畳んでいると、向かいの部屋で「よいしょっ!」と遊具を運んで遊ぶかわいい声が聞こえてくる。その声に救われている半面、やりきれない思いもあふれて気付いたら涙が止まらなくなっていた。

 娘に見られないように下を向いてひたすら洗濯物を畳んでいたが、視界の端にぼんやりとこっちを見てる娘の姿を感じた瞬間、娘はためらうことなく近付いて来て私をぎゅーっと抱きしめながら言った。「大丈夫だからね。一緒に頑張ろうねー。大丈夫だから」

 抱きしめる娘の小さくいとおしい力は、これまでもこれからも私にとって世界一の包容力。私の一番の理解者でもある。

 母親らしいことは何一つとしてできないけど、あの時決めたこと、それは「私という人間と母子家庭じゃなきゃ見られない世界を見せてあげる」という生意気にも強気な決意。もう20歳すぎの頃のような勢いは衰えたけど、まだまだ娘に見せたい景色がたくさんある。そして無限に広がっていく彼女の世界観はいつか世の中で輝くモノだと願い、信じている。

 私たちの二人三脚は不思議なほど深い愛と強い絆を味方にこれからも旅を続ける。



シンガー・ソングライター 牛来美佳 太田市

 【略歴】福島県浪江町で育ち、東日本大震災発生時は福島第1原発で働く。多くの命やモノが失われ、「想いを伝え続けたい」とシンガー・ソングライターとして活動。

2020/7/21掲載