コロナ禍により就活の見通しが不透明になっている。学生には何もなければ東京オリンピックまでは良い状況が見込まれると話してきたが、その何かが起きてしまった。

 就活で長らく学生を悩ませているのが、コミュニケーション能力であろう。私自身もあまり得意な方ではなく、学生に就活のアドバイスをしながら申し訳ない気持ちになることも多い。本学にはファシリテーターとして活躍されている先生もおられるが、学ぶことが本当に多い。

 とはいえ、就活で問題になるのは日常業務を遂行するレベルの話。このレベルであれば、雇われる側より雇う側に問題があるようにも思える。

 両者はそもそも年齢・世代が大きく離れているのだから、コミュニケーションを成り立たせるために必要な考え方や見方、情報が共有されていない。説明したり指示を与えたりする側が前提となる情報や認識の共有を確認し、説明することを怠れば、コミュニケーションは成立しない。自分では説明したつもりでも、言外に前提としていることが多くあれば説明は意味をなさない。それは何が共有できていないかを判断できない説明する側の能力不足であろう。

 若い人に「くだらないことを聞くな」と怒る人もいるが、それは質問した人の問題だろうか。人に指示を与えるのならば、業務、権限、責任などを明確にした上でなければならないが、それらを明確にできていないだけではないか。質問されてイライラしているのは、曖昧なままにしてきたことについて判断を求められている状況にイライラしているだけであろう。

 結局、自分はうまく説明できないけど「いい感じにやっておいて」と身勝手を振りまいている状況に陥っていることも多いのではないだろうか。厳しい言い方になるが、コミュニケーション能力がないと人をなじる人こそ、能力を欠いているように思えることもある。

 そうはいっても、採用を決めるのはそういう人たち。「向こうに説明する能力がないだけだから気にするな。でも採用を決めるのは向こう、きっちり話を合わせる努力をしろ」と、学生にはひどいアドバイスをすることもある。

 偉そうに説いてはみたものの、なんのことはない、学生を前にして私が陥っている状況を述べただけである。ただ、ありがたいことに学生は教員を批判してくれる。だから説明も謝罪もできるが、就活ではそうはいかない。

 学生や新入社員を前に嘆息する前に、自身の問題という可能性をちょっと考えてみよう。特に1960年代前後に生まれた人たちは、かつて「新人類」と呼ばれ、コミュニケーションが取れないと年長者を悩ませた世代ではないか。そのことを少しばかり思い出してほしい。



関東学園大教授 並河仁 太田市浜町

 【略歴】2003年に関東学園大講師、15年から現職。専門は政治学。京都市出身。京都大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。

2020/07/20掲載