第101回企画展「綿貫観音山古墳のすべて」が7月18日に開幕。昨年秋の企画展「ハート形土偶 大集合?」で、開館40周年、企画展開催100回という節目となり、その閉幕以来、約7カ月ぶりの企画展です。

 次の100回に向けて、その新たな一歩となる101回目の企画展が「国宝決定記念」というプレミアムを冠して開幕できたことには、その責務を果たせたという意味で安堵(あんど)の思いがあります。

 しかし、ここに至るまでの数カ月間の社会全体の動き、そしてそれが現在進行形である今を鑑み、歴史を伝える博物館として、その責務を果たし続けるため、これまで以上に緊張感を持ち続ける思いを抱いています。

 多くの研究者が論じ、メディアが伝えているように、感染症と日本の歴史には切っても切れない長く深い関係があります。古くは約1300年前。東大寺盧遮那仏(るしゃなぶつ)(奈良の大仏)の開眼に至るまでの経緯には当時の社会的動揺があったとされており、その一因として疫病も挙げられます。

 また、広く知られている歴史としては、平安時代の疫病や疱瘡(ほうそう)、江戸時代のコレラの流行などがあります。もちろんこれらのほかにも感染症の発生には枚挙にいとまがなく、それらが社会に与えた影響の大きさは想像を超えるものがあったと考えられます。

 今を生きる私たちは、それらのことを過去の事象(歴史)として、教科書やさまざまなメディアを通じて知ることが可能です。

 しかし、過去の事象として振り返るのではなく、リアルタイムでその時間と空気を共有してきたもの、それが今ある数々の歴史遺産です。そして、その一つに綿貫観音山古墳出土品があります。

 この古墳が造られたのは今から約1450年前のこと。当時この地域を治めた地域リーダーのお墓として造られ、数々の品が亡骸(なきがら)とともに副葬されました。その後、1968年3月に発掘されるまでの約1400年間、この地に物言わぬ品々として存在し続けたわけです。

 この間、日本人は数多くの感染症と出合い・戦い・付き合い続けてきました。そのうねりの時間を広い意味で共有してきたという歴史的意義が、今回の企画展に展示される綿貫観音山古墳出土品にはあります。

 さらには、この企画展に出品される「国宝・沖ノ島祭祀(さいし)遺跡出土品」(福岡県)や「国宝・藤ノ木古墳出土品」(奈良県)などを含む約500点のほとんどが1400年以上の時を経てきた、まさに歴史の「証人」ならぬ「証品」といえます。

 数多くの「証品」と対面し、その一つ一つが共有してきたさまざまな歴史を感じていただきたい―。そんな場にもなることを、私は企画展「綿貫観音山古墳のすべて」開催に際し、静かに願っています。



県立歴史博物館学芸係長 深沢敦仁 高崎市上中居町

 【略歴】県埋蔵文化財調査事業団や県教委文化財保護課で文化財保護行政に携わり、2016年から現職。同志社大―専修大大学院博士後期課程修了。博士(歴史学)。

2020/07/18掲載