「真の指導者になれるのは一緒に生活する養育者である」との考え方は、ワシントン大の指導者が多くの実践を通じて確信を得た主張でした。

 障害児保育の思想やノーマライゼーションの考え方が障害児教育者の間に芽生え始めた、当時の時代の流れに沿うものです。「生まれてすぐ、知的・感覚の発達を総合的に自然な発達の過程に従って刺激し、人との間の生き生きしたコミュニケーションを十分発達させる」との理念に共感し、早期療育プログラム実践に沿って育児をしました。

 幼児期は子育てを意識して保育園を選びましたが、学童期は地域の中で育てるために地元の小学校にこだわりました。この時期は、幼児期に身に付けた力を発揮し積み重ねていくことができる環境であり、家族や支援者の関わりが重要なのです。

 私たちは積極的に学校行事やPTA、子供会活動に参加しました。親が学校を含む地域活動に関わり、地元で暮らす人たちに私たち家族を認知してもらい、日常生活のさまざまな場面で娘を見守ってほしいと考えたからです。

 娘が小学校生活で学ぶことはたくさんありました。生きるために必要な知恵を、その都度教えました。幼児期に身に付いた先生や友達と遊ぶ楽しさ、皆で遊ぶ楽しさ、体を思うように使ってスキップできるといった喜びは、心と体を成長させました。

 登下校時は目を引くものがいくつもあり、寄り道も覚えました。していいことと、いけないことを社会のルールとして教えました。同級生と遊べないことを我慢するようになり、思うように遊びたいという感情は他校の支援学級に通う児童と交流することで解消され、学校生活の理解力が深まっていきました。

 中学校では部活動の先輩から優しさを知りました。毎日のつらい練習で倒立前転ができるようになったことで達成感を覚え、計算や数の概念を理解することで生活の幅が広がりました。

 体操教室に通い続け、高等養護学校時代には逆上がりと二重跳びができました。「頑張ってきたかいがあったね」と言う私に、「会議の『かい』のことなの?」と聞いてきた時は、言葉の意味を分からずに生活していることに初めて気付かされました。

 改めて障がいがあることの大変さを知り、親として障がいの特性を深く理解し、生活の中で使える言葉を身に付けることの必要性を強く感じました。娘は地域の中で経験を重ねることにより、物事や社会生活の正しい理解や行動を獲得していきました。

 親は子どもにさまざまな経験をさせ、気付きや工夫を引き出すことが大切です。時には困難を共に乗り越えながら成功体験に導き、日々の生活で自信と自律を得られる環境づくりに取り組む伴走者でなければ、と考えます。

 【略歴】1988年にダウン症親の会を発足し、会長に就任。2001年から相談員として活動。子育てに関する勉強会や発達に応じた遊びの指導などを行っている。

2022/7/12掲載