中学2年の夏、部活動の登山合宿で友達と山道を歩く八木原さん(右から2人目) 中学2年の夏、部活動の登山合宿で友達と山道を歩く八木原さん(右から2人目)

 サンスクリット語で「白い山」を意味するダウラギリ。ネパールにそびえる、その山系にあるⅣ峰(標高7661メートル)が、初めて登ったヒマラヤの頂だった。1975年10月20日、快晴。風はなかった。達成感を味わいながら薄い空気を肺に吸い込み、周囲の大きな山塊を眺める。危険を冒してまで、なぜ登るのか。登りたいからとしか言いようがない。

 山登りは中学2年から始めた。前橋南橘中に入学したときは、遊び仲間の多くが入部した野球部に何の迷いもなく入った。上皇さまが皇太子として、館林市ゆかりの美智子さまと、ご成婚で沸いていた頃だった。

 くたくたになるまで練習し、帰宅は遅い。勉強する時間が限られる。将来を心配する父親が雷を落とし、夏休み前に退部した。2年生になると、スケート選手として活躍し、山登りが好きだった鶴田智之先生が「スキー・スケート・山岳部」を創設した。

 何もしないより、やってみるか。後に約25年間、ヒマラヤ登山に明け暮れるとは夢にも思わず入部。山への一歩を踏み出した。マラソンで体力を養い、赤城や榛名に仲間と登った。2年の夏休みは部活動として浅間山へ出かけた。雷鳴がしたため途中で下山し、照月湖でキャンプするなどした。

 この年の秋、谷川岳一ノ倉沢衝立岩で、遺体がクライミングロープで宙づりになる遭難死亡事故が発生した。自衛隊の狙撃部隊がロープを銃撃で切断し、遺体を落下させ収容した。その衝立岩など谷川岳の岩壁が、ヒマラヤへの技術を磨く場となるとは想像もしなかった。