生きた証しを伝えるために残した壁絵、数万年前の物とは思えない確かな落書きだ。「スペインのアルタミラ洞穴」や「フランスのラスコーに見る壁画」は1万年から2万年以前のものと言われる。人類の起源と現在を結び付けるのは無理があるが、しいて言えば壁画である。

 数万年もたっても色が残っているのには驚かされる。塗料製法は今日にみても変わっていない。現在でも同じようなことをしている。土や岩を砕いて赤、青、黄、白、黒などの「天然顔料」に植物汁、獣汁、石灰乳に混練して塗るという技術だ。そのような原型が有史前に存在していたことに、言葉にならぬ驚きを感じる。

 塗料製法において「西洋はオリーブ油」「東洋は漆」と言われる。西洋では14世紀頃には宗教も関係して絵画とともに発展した。東洋では、中国より朝鮮半島を経て、4世紀には日本にまで及んでいたとされている。北海道の遺跡では、9千年前の漆器が発掘されたということだから、歴史は断定できない。

 われわれ建築塗装業界だが、自然塗料は現代になって見直されている。そもそも近代まで自然塗料は使われていた。日本にペンキなる物が持ち込まれたことに「日本の近代塗料の歴史」が始まるのだ。江戸時代後期まで渋や膠(にかわ)の「水性塗料」が主流だった。

 日本に「油性塗料」が持ち込まれたのは幕末であり、日本の歴史が大きく変わった時と重なる。ペンキは黒船来航の際、ペリーの随行員に手ほどきを受けたと伝えられている。「幕府の命」である。

 明治政府により、主要地区に洋館が建てられるようになると、輸入だけでは間に合わなくなり、ペンキ作りや刷毛(はけ)に至るまで急速に発展した。特にペンキ作りは、漆、渋、膠職人が苦心してまねて作り上げたと記録されている。ペンキ塗り刷毛同様、西洋の輸入刷毛では限りがあり、政命で作らされたのが始まりだ。

 最初の注文は大砲の筒を掃除する「筒掃除用ブラシ」とされる。やがてペンキ専用刷毛が模造されるのだが、これもモデルは西洋刷毛特有の「カスト刷毛」だった。「洋刷毛」は、柄先に動物の毛を束ね、金属で巻き込んだ形をしている。「日本刷毛」は、木柄の先を二つに割り開き、動物毛や人毛を挟み込んだものを総じて刷毛と呼んだのである。

 「模造刷毛」でペンキを塗っていたこともあり、当時の塗刷毛として作られたのが「日本の建築専用刷毛」となり現在に至っている。握り方も西洋は「握手」握り、シェイクハンドである。かたや日本は「筆握り」である。日本独自の方法、これも「漢字文化がもたらした産物」で、筆から刷毛に至るまで西洋と東洋文化を吸収して、独自の型に至ったのである。2万年前の化石に歴史のつながりを見るのである。



日本塗装工業会県支部長 木暮実 高崎市井野町

 【略歴】1975年に高崎市で木暮塗装を創業(現在は会長)。2008年、厚生労働省の「卓越した技能者(現代の名工)」に選定。武蔵野美術大造形学部中退。

2020/03/25掲載