ここは懐かしい。どうやって遅刻をごまかそうかと理由にならない理由を考えながら重い足取りで向かう。今ではすっかり見晴らしが良くなって、当時は見えるわけもない位置からただただ景色が広がって寂しそうに私に何かを訴えている気がして…。

 そう、私は今、ここに自分がいた証しを探すかのように浪江町を歩いている。変わり果てても、とんでもなく生い茂り避けるようにして通らなくてはならない場所も、昨日まで住んでいたように思い出す。進学のため、15歳で故郷を離れ、また19歳の時に娘の出産を機に浪江町へ帰郷した。娘が生まれてからは娘と過ごした時間も重なって心がギュっと締め付けられる。

 「小学校に上がるようになったら、帰りは毎日こっちさ来るんだべな~」っと小学校の近隣にある実家ではよく孫の成長に未来を描いて話してたこと。その表情は楽しみでしかないほほ笑みで、さらには私の小学生時代にさかのぼって話が膨らんだ。

 東日本大震災、そして私たちが経験した全町民強制避難から丸9年の月日が流れた。壮絶な日々の中、数々の思いは歌で伝えていくと決心した道を今も歩んでいる。今では群馬の家に帰って来るとほっとする自分もいて、複雑な思いが込み上げる。震災から時が流れても真相は変わらない。それを抱えながら今日も散り散りになったそれぞれの場所で私たちは生きている。

 そして今、私が思うこと…。ただただ会いたい気持ちに尽きる。先日、久々に地元の友人2人それぞれと電話で話した時、不思議なことに同じことを言っていた。「なんだかさ、地元を失ったってやっぱり大きいよね。今頃になってどうしていいのか分からなくてさ…。みんなに会いたくて参ったよ。本当に切ない…」

 9年と言う月日は義務教育全課程が修了する期間。そう思うと相当に感じるが、避難生活を経ての9年間はみんな知らない土地でとにかく必死で必死で、やっと本当の気持ちに向き合ってきた時間なのではないかと感じた。そして同時にどうしようもできない現実がまた切なく、またかみ締めて歩いていくのだろう。

 震災の約1年半前に建てたばかりだった実家は売り家となった。私と娘が住んでいたアパートは半年前に解体されていた。本当に帰る場所がなくなってしまった気持ちが止まらず、心のどこかで迷子になっている。

 だけど、裏腹に群馬で出会った人々たち、音楽がなければ、この道を選択しなければつながらなかったことがほとんどで、たくさんの人々に支えられながら今、ここで生きている。人の温かさに触れながら、また私も少しずつ新たな自分に未来を描いて歩いていきたい。誰かが生きたかった今日を大切に生きていく。私は浪江町が大好きです。会いたい思いをはせて。



シンガー・ソングライター 牛来美佳 太田市

 【略歴】福島県浪江町で育ち、東日本大震災発生時は福島第1原発で働く。多くの命やモノが失われ、「想いを伝え続けたい」とシンガー・ソングライターとして活動。

2020/3/11掲載