街から「あいまいな場所」が減っている。

 私の住んでいる街やその周辺には生涯学習センターなどの公共施設がある。館内にはロビーのようなフリースペースがあり、近所の人(年配の人が多い)の憩いの場になっていた。ところが耐震補強工事や新型コロナのタイミングで利用が制限されるようになり、椅子やテーブル、ソファが撤去されるなど、すっかり様相が変わってしまった。

 毎日集まって囲碁を楽しんでいたお年寄りのグループや、のんびりと友達との会話を楽しんでいた人たちが場所を失い、デパートの階段の踊り場にあるベンチなどに座っているのを見かける。前より居心地が悪そうだ。この例に限らず、水場やトイレもあって、無料で何となくいることができる場所が近年、急激に減っているように思う。

 お金を払って利用するファミリーレストランやファストフード店なども、あまり混んでいなくて遠慮なく長時間いられるような店が次々と消えている。混んでなくて居心地がいいということは、つまり回転が悪く、採算が合わないということなのか。

 オウム真理教事件の時にも、街から公共のごみ箱が次々となくなり、公園のベンチなども寝転がれないよう真ん中に仕切りが入れられるという変化が起こった。昔は自由に出入りできた小中学校の校庭も、あの頃から一般の人は入れないようになってしまった。合理性と安全の名の下に、あいまいな場所というのがあまりにも減り過ぎていないだろうか。

 個人経営の店なども、良い意味であいまいな場所と言えるかもしれない。物を買うという目的だけでなく、そこでの会話を楽しみに来ている人も多い。

 私がよく行く都内の古着店でも、何を買うわけではないが店主との古着談義のために来ているような人がいる。聞こえてくる会話から、「家でも職場でもないけれど、心を開いてあれこれ話せるあいまいな場所」として多くの人にとって大事なものになっているのを感じる。商売という経済的な意味では数値に表れないが、街への貢献度としてはとても大きいのではないだろうか。

 こうした個人店も今回のコロナで大打撃を受け、苦しい経営を迫られている。一つの店が消えてしまうことで日々の楽しい会話がなくなり、生きる勇気にも影響している人がいるだろう。

 経済活動の数字だけでは見えない機能を担っている街のあいまいな場所。残念ながらそれは今後ますます減っていくのではないだろうか。一方で、全国で大量の空き家が発生しているのに、家のない人たちが多く存在する不条理。

 解決策を示せるわけではないのだが、「このことをどう思いますか」と読者に問いかけることも、紙面にこの場を頂いている者の役目かと思う。

 【略歴】1988年NHK入局、「ブラタモリ」などさまざまな番組の企画制作を担当。現在NHKエデュケーショナルで番組制作に携わる。太田市出身。早稲田大卒。

2022/7/17掲載