重監房資料館は20日から、本年度企画展「希望(のぞみ) 絶たれても なお~重監房収監者の人生」を開催しています。

 重監房は、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園にあった懲罰施設の俗称です。官憲の取り締まりや園当局に「不良」と目されたハンセン病患者が全国から送致され、監禁・放置される「牢獄(ろうごく)」でした。それが機能していた1938~47年の9年間に、記録に残るだけでも延べ93人が収監され、23人が非業の死を遂げています。

 93人の収監者のライフヒストリーは分からないことばかりですが、企画展では、収監者について新たに判明した事実を、常設展「重監房の収監者」に増補するかたちで紹介しています。

 調査を進めていくと、ハンセン病患者だったという理由だけで、本当にひどい差別的な扱いを受けた「不良」患者の実態が、断片的ではありますが、改めて浮かび上がってきました。戦時下の国家総動員期、敗戦による混乱期という背景も影響しているのかもしれません。戦時中にスパイの嫌疑をかけられるリスクが高かったキリスト教徒への弾圧の傾向が読み取れたのも非常に興味深いことです。

 こうした国の誤った強制隔離政策の背景には、ハンセン病患者を劣った存在と見なす優生思想がありました。

 戦後の日本国憲法下で制定された旧優生保護法の第3条3に「本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの」と、遺伝性疾患ではない感染症であるハンセン病に関する規定が例外的に挙げられたこともその証左です。

 旧優生保護法から優生思想・政策を削除して母体保護法が成立した96年が、ハンセン病患者とその家族を苦しめてきた「らい予防法」の廃止の年であることは単なる偶然ではないでしょう。ハンセン病患者に対する優生思想・政策を強力に実施した過ちを象徴的に示す歴史的遺産として重監房が「日本のアウシュビッツ」と位置付けられるのは当然のことだと考えます。

 今回の企画展を担当した松浦志保学芸員は「絶たれた希望、絶たれた生命、そしてなおも生き抜いた彼ら彼女らの人生に、あなたのまなざしを向けていただければ幸いです」と皆さんへのメッセージを発しています。

 重監房で亡くなった方もいますが、辛くも命をつなぎ戦後も生き延びた人もいます。残念ながら、そうしたサバイバーの証言記録はほとんど残されていないのが実情です。しかし、重監房資料館は今後も諦めずに収監者に関する情報の掘り起こしを続けていくつもりです。

 今回の企画展もそうした営みの一里塚です。皆さんには、もしも自分が、家族がこの境遇に遭ったらどうしただろうか、と想像しながら展示を見てほしいと願っています。

 【略歴】2009年から国立ハンセン病資料館勤務。重監房跡の発掘調査、資料館設立に関わり、17年から現職。東京都出身。東京学芸大―東洋大大学院修士課程修了。