食料品や衣料品などがそろった伊勢崎ショッピングセンター
「600坪型」の1号店となった1992年の群馬町店
とりせんのシンボルマーク
インストア方式の1号店となった小桑原店
1992年に定めた標準店(売り場面積600坪)の大きさは現在の店舗でも取り入れられている=太田新井店
セントラルパッケージ方式導入で建てられたプロセスセンター

 スーパーマーケット事業のとりせん(群馬県館林市下早川田町)は1960(昭和35)年、現在の商号となった。店舗のチェーン展開を推し進め、64年には館林市内に食品工場を新設。製麺、製菓、総菜、豆腐製造などを手がけ、日配食品の低価格販売を実現した。これが75年に設立したマック食品(前橋市)の基礎となった。

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 地方スーパーの経営者が情報交換するオール日本スーパー経営者協会(AJS、後のオール日本スーパーマーケット協会)には68年に加盟。現在も各地の経営者と切磋琢磨(せっさたくま)し店づくりに反映させている。

食品以外も

 高度経済成長期に突入すると、70年にニチイ(当時)と業務提携し11号店として伊勢崎市大手町に伊勢崎ショッピングセンターを設立した。食料品に衣料品や雑貨を組み合わせた、地方では珍しい斬新な形態だった。業績拡大が続く中で、72年には前橋市や高崎市にも進出した。

 チェーン展開のために、効率の良い生鮮食品のパッケージ施設が必要となったのがこの頃だった。73年、現在の本社に「プロセスセンター」を新設し、1カ所でパッケージし各店に配送するセントラルパッケージ方式を導入。当時はバックヤードスペースを持てない小型店が多く、多店舗展開に適した方式だった。

 消費者の生活に密着した食品以外の商品供給も目指した。76年には衣料品事業部を新設し、食料品と組み合わせた新業態の店舗も登場。FP(ファミリープラザ)小山店が実験1号店として成功し、2号店としてFP館林店を出した。

 同年は新シンボルマークが制定された年でもあった。四角に囲まれた「と」の文字は根っこを表し、地域にしっかり根付く意味を込めた。「と」の上の部分が抜けているのは未来への成長を意味している。

量から質向上

 スーパー業界の価格競争は激しさを増していた。81年、2代目の前原壬子雄(みねお)さんに代わり、長男の章宏さん(86)=現・会長=が社長に就任。「量的拡大から質的向上に変え、改革しなければならない」と新方針を掲げた。利益のない成長をしていた企業は、提携や合併の波にさらされていた時代だった。

 新たな店舗作りとして82年、セントラルパッケージから店内で加工、パックするインストア方式への転換に着手した。それまでの方式は単品の大量販売には適していたが、品ぞろえの偏りや品切れが発生し課題となっていた。解決を目指し、小桑原店(館林市)を1号店として改装オープン。現在に続くインストア方式の始まりだった。

 バブル崩壊後の92(平成4)年、政策発表会で当時の章宏社長は「一部店舗の実験段階だが、各部門の売り場に『エキサイティングコーナー』を設け、お客さまにアピールできる売り場づくりを実施している」と表明。同年、群馬町(現高崎市)に、青果売り場を拡張することにより「スーパースーパーマーケット(SSM)」と名付けた「600坪(約1980平方メートル)型」1号店が改装オープンした。 食品売り場は広過ぎると陳列量と在庫が増え、鮮度が劣化する。生鮮食品の「安全、新鮮、美味、安い」の4条件を満たすため、新鮮な商品を高回転させ、買いやすい売り場面積を確保した。あるべき売り場を追求した結果が600坪だった。この売り場面積は、現在も標準店のサイズとして採用している。

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