繭の品質をチェックする浅井さん

文化継承へ移住、奮闘 世界遺産登録が転機

 化学繊維の台頭や後継者不足などを背景に戦後のピーク時の0.1%以下に激減した県内の養蚕農家。世界文化遺産の富岡製糸場があり、日本の絹産業をけん引した富岡市も現在は企業・団体を含めて11戸しかない。ただ、明るい兆しの一つが県外からの新規就農者だ。天然繊維の需要増を見込みビジネスモデルの確立を目指す青年や、着物好きが高じて養蚕の道に入った女性らが、養蚕文化を継承しようと奮闘している。

 同市南後箇の古民家2階。大型扇風機の音が響く中、東京都出身の浅井広大(ひろお)さん(33)が、出荷に適さない繭を取り除く「選繭(せんけん)」に集中していた。養蚕を始めたのは2019年。現在は年間46万5千頭の蚕を育て、年5回出荷している。

 「環境への配慮から石油由来の化学繊維より天然繊維の需要が高まるはず。養蚕のビジネスモデルを確立し、養蚕文化を維持継承していきたい」と話す。

 青年海外協力隊員として訪れたネパールで甘楽町関係者と知り合い、帰国後に同町や同市の地域おこし協力隊員を務め、地元養蚕農家を手伝った。その活動の中で、絹産業が日本の近代化を支えたことを知った。経験や養蚕技術を惜しみなく教えてくれた「師匠」への感謝もあり、「渡されたバトンを次代につなぎたい」と就農を選んだ。

 シーズンオフの冬にネギを栽培し、年収は養蚕6割、ネギ4割。21年に結婚し、安定した生活を送っているという。「養蚕は温度や天候の変化に気を使うし、休みが取れない時期もあるが、自分で仕事内容を決められ、人間関係で悩むことも少ない。気分的には楽」と照れくさそうに笑う。

 2年前から同市上丹生で養蚕に取り組んでいるのは神奈川県出身の小泉節子さん(50)。着物が好きでシルクに興味を持ち、「いつかは自分で蚕を育てたい」と考えていた。18年に母親が亡くなり、「好きなことをやろう」と家族経営の飲食店を畳んで移住した。

 新規就農者を後押しする県蚕糸技術センターのプログラムで知識を、市内の養蚕農家で実務を学んだ。「養蚕を教えてくれる基礎講座があり、開業支援も手厚かった」と本県を選んだ理由を話す。

 中古の民家を購入して蚕室と生活スペースを整えた。1人での作業を考えて年4回、1万5千頭ずつ育てるペースに落ち着いた。出荷のない期間は地元JAのパッケージ工場に勤務したり、市内のイチゴ農家で収穫を手伝ったりして生活費に充てている。「始めたばかりだが、好きなことをやって暮らすのは楽しい。細く長く続けていきたい」と目を細める。

 7月に同市から地域おこし協力隊に委嘱された京都府出身の市川素さん(33)も今後、市内の養蚕農家で経験を積み、独立の準備を進める考えだ。青年海外協力隊として訪れたインドで養蚕農家を支援した経験がきっかけといい、「日本の絹文化の担い手になりたい」と意気込んでいる。

 県内の養蚕農家は戦後のピークとされる1958年に8万4470戸あったが、2021年に72戸まで激減した。富岡市も現在の11戸に対し、市町村ごとの正式な記録が残る69年は合併前の旧富岡市に2930戸、旧妙義町に720戸の計3650戸あった。

 県蚕糸園芸課によると、減少傾向が続く中で転機となっているのは、2014年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録。養蚕業への注目が高まり、年平均2~3件のペースながらも個人や企業、団体などが8年連続で新規開業した。

 県内養蚕農家の平均年齢は73歳。今後も引退などが予想されるだけに、新規就農者への期待は大きい。すでに現在の72戸の4分の1程度は14年以降の新規就農業者で、特に富岡市内は開業が多いという。同課は「若い世代が本県の絹文化に新しい風を吹き込んでくれるといい」としている。