雲林寺の供養で参列者は石地蔵などに手を合わせた
鎌原観音堂近くで黙とうをささげる参列者

 1783(天明3)年の浅間山大噴火から二百四十回忌を迎え、甚大な被害があった嬬恋村と長野原町で5日、それぞれ追悼式典が開かれた。地元住民や関係者が犠牲者や復興に尽力した先人に思いをはせ、1490人以上の死者が出た未曽有の火山災害を語り継ぐ決意を新たにした。

 嬬恋村鎌原は大噴火で発生した「土石なだれ」で埋没し、当時の住民の8割に当たる477人が死亡するなど壊滅状態となった。高台にある鎌原観音堂に逃げ込んだ人だけが生き延び、地域を再興したと伝わる。

 村主催の式典は同観音堂近くで開かれ、住民でつくる鎌原和讃会が「浅間山噴火大和讃」などを唱和した後、2部構成で行った。1部は黙とうに続き、熊川栄村長が「今回の式典を契機に鎌原の歴史を後世に伝えることが責務と考えている」とあいさつ。参列者31人が献花した。

 2部は当時、熊本藩が幕府の命を受けて約10万両の復興費用を供出した歴史にちなみ、熊本県東京事務所の内田清之所長に感謝状を贈呈。熊本藩の貢献を伝えるため村が発行した冊子を参列者に配った。火山災害という共通の歴史があり、7月に友好都市協定を結んだイタリア・ポンペイ市の市長からの手紙も読み上げられた。

 鎌原区長の滝沢一秀さん(71)は「大噴火の歴史を次世代にも引き継いでいきたい」と話していた。

 一方、旧長野原村は泥流にのみ込まれて200人以上が亡くなった。当時、泥流に流された長野原町長野原の雲林寺で供養が行われ、地域の住民ら約30人が石地蔵などに手を合わせて犠牲者の冥福を祈り、地域の再興を成し遂げた先人に感謝をささげた。

 同寺は地元の有志により1813年に本堂などが再建され、石地蔵が境内に建てられた。轟省吾住職(49)は「子どもたちが将来、この日のことを思い返してくれたら。お地蔵さまに手を合わせ、先人の思いを感じてもらえるといい」と話した。