人はいつから花を摘むようになり、そして、なぜ花をめでるのでしょうか。
イラク北東部のシャニダール遺跡でネアンデルタール人の骨が発掘された際、いくつもの種類の花粉が一緒に見つかったことから、5万年以上前には既に、死者を弔う場面で花を手向けていたのではないかと言われます。
ではなぜ、めでるのか。花は豊作の予兆だからです。花が咲かなければ実りはありません。花が咲くということは将来の食糧が確保でき、この先も生きていけるという保証と安心をもたらします。花を見ると安心感を得られるようDNAに組み込まれているのかもしれません。
このような生存本能に根差す理論以外にも、花を飾る理由がありそうです。
よく議論されるのは、悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか。はたまた楽しいから笑うのか、笑うから楽しいのかということです。脳科学の観点では、「楽しいから笑う」をキャノン=バード説、「笑うから楽しくなる」をジェームズ=ランゲ説と呼ぶそうです。
現時点ではそれぞれ専門家に支持され、どちらが本当なのか決着はついていないと聞きます。自分自身の経験を顧みると、確かに両方あるように思います。
注目すべきはジェームズ=ランゲ説です。笑い出すと止まらなくなり、周りの人まで笑いに巻き込まれてしまうなどがこれに当たるでしょう。この説にのっとれば、花を飾るから楽しくなる、心が安らぐということになります。
コロナ禍で社会の閉塞(へいそく)感が高まってからというもの、自宅に花が届くサブスクリプション販売が伸びています。生活者が明るい社会に戻ることに希望を持ち、毎回新しい花が届くことを心待ちにしているからでしょう。人間らしい文化的生活の欲求によるニーズの高まりと分析しています。
「35億」のフレーズで人気を博したあるタレントは、ブレーク前、「どんなにお金がなくても必ず花を飾る」と言っていました。某小説家も然り。花を見つめることで心のゆとりや希望を感じていたのかもしれません。
花だけではありません。人々は、太陽の力が弱い厳冬期でも葉を落とさず青々としている常緑樹に聖なる力を感じてきました。日本なら例えばマツやヒノキ、西欧ならば西洋ヒイラギやモミの木などです。人々は植物を食べるだけでなく、精神的な糧としても上手に使ってきたのです。
今では、植物を見ていると生体に良い効果を及ぼすことが医学的に証明されています。なかなかコロナ社会から抜けきれずにいますが、たとえ1輪、1本でも花や緑を飾り、すがすがしく豊かな時間と空間を実感してみてください。希望や幸福感を得られるかもしれません。
【略歴】大田花き商品開発室を経て、2016年から現職。NHKラジオで花の市場だよりをリポートしている。日本フローラルマーケティング協会理事。藤岡市出身。
2022/8/21掲載