大学教授としての思いなどを語る黒沢清さん(撮影 福島慶悦)
東京芸術大大学院映像研究科のある馬車道校舎

映画作り 言葉から自由に

 「『人の価値観を取り込める勇気。あるいは、それでも自分の主張を通す情熱。今、世界で起こっていることを引き受けて制作する。世界はどのようにできているのか? そしてその中で自分はどうするのか?』ということを学んでください」。私が在籍する東京芸大大学院映像研究科の入学オリエンテーションで、映画監督の黒沢清教授が語った言葉です。本年度で退任される大学教授としての黒沢監督について、2回にわたって書きたいと思います。

 入学式では卒業生の濱口竜介監督作品『ドライブ・マイ・カー』のアカデミー賞受賞の話題で持ち切りでした。濱口監督を芸大で直接指導したのが黒沢教授です。濱口監督は黒沢教授の「映画は、リアリティー(現実)を記録するカメラでフィクション(虚構)を作るという矛盾した行為を内包している」という言葉に大きな影響を受けています。

 同じように黒沢教授も大学生時代、蓮實重彦さん(東京大名誉教授)の授業を通して映画を学び、強い影響を受けました。芸大教授として教壇に立つ時も蓮實さんから受けた学びを言葉に変換して学生に語っていると言います。「巨人の肩の上に立つ」という言葉がありますが、こうした知の積み重ねがアカデミー賞受賞の快挙に結びついたと思うと感慨深いです。

 「教育とは無縁で実践してきた者がある時、教育しろと言われると不思議な言語化が起こる」と黒沢教授。「人に教えるという経験をさせてもらったことから突如生まれた言葉。言葉にしないと人に伝えられないから、それまで何十年という経験の中で曖昧だったものが、初めて言語化されたのです。これは不思議な経験でした」と振り返ります。

 しかし、この経験は「同時に、一度言語化してしまうと、言葉としてそういうことだと定着してしまうんですね。自分がそれに縛られてしまう。これは怖い」と言います。なるほど、人間は自らが発した言葉に縛られてしまうものだと、はっとさせられました。

 さらに「芸大で教えるようになってから、作り続けなければいけないとより強く思いました。大学教授であるということに居座って全然映画を作らなくなったら、多分もう二度と作れなくなると肝に銘じていました。作っていないとどんどん言葉が固定化されるし、言葉もこれ以上発展しないでしょう。言葉から自由になるには作らなければならない。作り続ければ、また別の言葉が出てくると思います」と話します。

 言葉から自由になるために作らなければならない。それが黒沢教授が映画を作る一つの理由なのかもしれません。言葉と芸術の関係性や、言語とは何かまで思わず考えさせてしまう黒沢教授の映画教育は、新たな視点の発見と知の気づきに満ちあふれています。黒沢教授の下で学んだ学生の中から、また新たなアカデミー賞監督が生まれるかもしれない。そんな予感もします。

 (慶応大付属研究所リサーチャー)


 

 太田市PR映画「サルビア」で監督を務めた慶応大付属研究所リサーチャー、小田浩之さんに日本や世界の映画、映画界などをテーマに語ってもらう。

おだ・ひろゆき 東京都出身。太田市PR映画「サルビア」で監督を務める。2018年度県文化奨励賞受賞。東京芸大映像研究科博士課程在籍。