ドイツ派遣中のパーティーで笑顔を見せる伊東さん(周作さん提供)
海底から見つかった伊東さんの運動靴。遺品として生家に届いた

 沖縄県宮古島付近で4月に起きた陸上自衛隊ヘリコプター事故で、事故機には群馬県中之条町出身で第8師団司令部の伊東英一2等陸佐(47)が搭乗していた。発生以来捜索が続けられてきたが、伊東さんら4人は行方不明のままで、陸自は生存の可能性は低いとして死亡と判断した。父の周作さん(79)=同町折田=は「こんなことが起こるとは、今も信じられずにいる。せめて体の一部でも見つかってほしい」と悲痛な思いを語った。

 周作さんによると、伊東さんは司令部の中核を担う幹部の一人として、情報関係の業務に従事していた。3月に着任したばかりだった。

 事故の一報が届いたのは発生当日の夜だった。周作さんは「書類を決裁する立場と思っていた。ヘリに乗っていたと聞き耳を疑った」と振り返る。

 4月中旬、第8師団の司令部が置かれる熊本市に出向いて捜索状況の説明を受け、宮古島周辺を含めこれまでに計3回足を運んだ。機体発見地点の近くに行った際は花を手向け、中之条から持参した水を海にまいた。

 捜索活動では伊東さんのズボンとベルト、手帳、運動靴が回収された。このうち遺品として、靴を伊東さんの妻から譲ってもらった。周作さんは「海底100メートルから一そろいの靴を見つけられるほど探してもらったのに、体が戻らないなんて。こんな残酷なことはない」と嘆く。

 伊東さんは渋川高-早稲田大法学部卒。弁護士を目指したが、就職氷河期もあって自衛官の道を選び、陸自の幹部候補生学校に入校した。語学が堪能で外国にたびたび派遣され、2019~21年度はドイツで勤務したという。今年の正月に帰省した際は「5月の連休にまた来るよ」と言っていたが、かなわなかった。

 周作さんは「せがれは努力して自分の道を進んだ。成し遂げたことがせめて後世に残るよう、故郷の墓に記してやりたい」と話している。

 民間作業船の水中捜索は5月31日で終了。陸自は周辺での捜索を続行している。死亡した前第8師団長の坂本雄一陸将(55)ら搭乗者10人の葬送式は今月18日に熊本市の健軍駐屯地で営まれる。

 ヘリは4月6日午後3時46分に宮古島を離陸し、10分後の56分にレーダーから機影が消えた。自衛隊などの捜索の結果、宮古島の西隣にある伊良部島の北約6キロ、水深約106メートルの海底から機体の主要部分や6人が見つかった。