1942(昭和17)年の夏、当時小学6年生だった少年が描いた絵日記が、母校の群馬・桐生東小(竹市富夫校長)に戻り、2日に全校児童186人の前で初めて公開された。多くの人を介して80年後に同校に寄贈された絵日記で、竹市校長は児童に経緯を紹介し、つながりの大切さについて語りかけた。
絵日記を描いたのは、前身の東国民学校に通っていた竹下禎祐さん(故人)。プールや東京旅行へ出かけたり、陸上競技の大会で優勝したりした夏休みの思い出を水彩で描いた。
絵日記は当時の担任だった東使(とうし)兵四郎さん宅で、長く保管されていた。東使さんの孫の小島祥子さん=埼玉県=が、遺品の中から竹下さんの絵日記を見つけ、昨秋同校に寄贈。絵日記には劣化もあったことから、同校は保存管理について関係者と協議し、千葉県の業者に絵巻物への表装を依頼した。
その後、竹下さんの長女、鶴谷智子さん(60)=桐生市=と連絡がつき、鶴谷さんは亡き父の遺品と対面。鶴谷さんは「少年の頃の父と出会えたようで感激した。表装してくれた皆さまにも感謝したい」と振り返った。
竹市校長は絵日記が同校に寄贈された一連の経緯を児童に紹介し、つながりの大切さを説いた。竹下さんと同じ6年の吉田稜矢君(11)は「描かれている子どもが楽しそうで、字もきれい。昔の物とは思えない。未来の生徒のために、ずっと残してほしい」と話した。
今後、絵日記を写真に写したものを同校の廊下の壁に掲示し、児童に見てもらう。竹市校長は「いろいろな人の思いがつながって、鶴谷さんが絵日記を見ることになった。こうした先輩や先生がいたことを、子どもたちに伝えていきたい」と話している。