日本人はどうして家を新築したがるのだろう。全国各地でこんなにも空き家が問題視されているというのに。生まれてくる子どもの数は少なく、人はどんどん減っていく。人口の減少と反比例するように、どこもかしこも空き家ばかりが増えていく。しかし、そう言う私自身も結婚した当時は若く、空き家について深く考えることもないまま、当たり前のようにマイホームを新築した一人だ。だから、偉そうに空き家に関してこんなふうに語っているのはおかしな話である。

 シンガー・ソングライター、森山直太朗氏の「どこもかしこも駐車場」という楽曲をご存じだろうか。知らないという方はどうか一度聴いていただきたい。曲の大部分は「どこもかしこも駐車場」という歌詞ばかりで、聴けば必ず耳に残るだろう。しかし、その歌詞を深い心持ちで読み進めてみると、とにかく切なく、はかない一曲に思えるのだ。

 今回のテーマである空き家について考えながら、私の脳内にはこの楽曲が何度もリピートされている。なぜなら、この歌詞にある駐車場が「忘れ去られた場所」に感じられるからである。恐らく、駐車場になる前には何か建物があったのだろう。その建物で営まれていた暮らしや音、匂い、人々の感情、その全てがいつしか跡形もなく忘れ去られ、「ただの駐車場」となってしまった。そんな歌に感じられて仕方がない。そして、社会問題となっている空き家も同じなのではないかと考える。そこには必ず人の営みがあったのだ。

 海外に目を向けてみると、空き家についてはあまり問題視されていないようである。英国やドイツなどの空き家率はとても低く、住宅市場でメインに取引される物件のほとんどは中古住宅だという。その理由は「長持ちする質の良い住宅」、そして「家主自身が家のメンテナンスをしながら長く住み継いでいく」という生活の仕方が根付いているからだ。確かに、洋画の中では主人が休日に家のメンテナンスをしているシーンが思い浮かぶ。

 そうした文化の中で、海外では築100年を超えてもなお、価値が見いだされる物件が多く存在する。このような「古き良きものを大切にする」という考え方は、日本でも昔から多岐にわたって根付いているはずである。それにもかかわらず、住宅に関しては新築物件ばかりが輝かしく目に映ってくるのだ。

 日本人の「夢のマイホーム」という価値観も、高度成長期に根付いた「質より量」という耐用年数の長くない住宅に対する考え方も、いつか海外のような心持ちに追い付いてほしいものである。

 【略歴】保育士として働き、結婚を機に桐生に移住。2020年に設立した合同会社の一員として、古民家を改修した貸しスペース「仲町はなれ」の運営などに携わる。

2021/11/14掲載