新型コロナウイルス感染症は、東京の感染者数も2桁台となり、落ち着きを取り戻し始めたかに見えます。予断を許さない状況ですが、“夜明け”を心待ちにするのは私だけではないでしょう。この1年半以上は、一人一人にとって試練の時間になりました。つらいニュースを聞くたびに、とにかく忍耐と工夫を持ってしのぐ以外にないと思いながら、私も不安定な心持ちで過ごしています。

 10月16日、埼玉県熊谷市で開催された「田中彩子ソプラノ・リサイタル2021」に出掛けました。京都府出身の田中さんはウィーンを中心に大活躍している歌手です。2019年のニューズウィーク誌「世界が尊敬する日本人100」に選出されました。来年1月に国立能楽堂で行う「難民を助ける会」のチャリティ・コンサートで、モノオペラ『ガラシャ』に出演していただく予定です。

 彼女もコロナ禍に芸術活動を翻弄(ほんろう)された一人でしょう。今回のリサイタルは本来昨年の予定でしたが延期され、ようやく実現しました。繊細で美しいコロラトゥーラソプラノと、合間のおしゃべりのギャップも面白く、あっという間の2時間でした。生の音楽に飢えており、彼女から紡ぎ出される美声は風のささやきや鳥たちのさえずりにも似ていて、そのひそやかな息遣いに感動しました。そして、「もう少し足を延ばせば群馬県なのに」と、後ろ髪を引かれる思いで帰宅しました。

 実は、この「視点」を担当している間に群馬で再度訪問したいところがあったのですが、自粛生活が続いて実現できませんでした。みなかみ町の猿ケ京温泉で赤谷湖を見下ろす高台にある「まんてん星の湯」です。温泉はもちろん魅力ですが、お目当てはロビーから廊下に沿って掲示されている、地元出身の石田良介さんの剪画(せんが)です。かなり大きな作品が何点かありました。里山の風景が織りなす四季に、しばし時を忘れて見入っていました。

 数年たった現在も、あの絵にもう一度向き合いたいという思いが募ります。「たくみの里」で遊び、旅館「本伝」に泊まり、のれんやちょうちんに石田作品のロゴを見つけるのも忙中閑ありの楽しいひと時でした。夫、吹浦忠正の著書『歌い継ぎたい日本の心-愛唱歌-とっておきの話』はその表紙も挿入画も石田さんのオリジナル作品です。夫が教えていた大学生との「先生、おぼろ月って何月ですか?」という珍問答から始まるこの本に、優しさと温かさを添えています。もう少し我慢すれば、あの里山を再訪できるでしょう。

 私の担当は今回で最後となります。紙面を通じて読者の皆さまと交流できたことに感謝しています。



認定NPO法人難民を助ける会名誉会長 柳瀬房子

 【略歴】1976年に前身団体設立メンバーとなり、会長を経て現職。法務省の専門部会委員を務め、現在は難民審査参与員。東京都出身。青山学院大大学院修了。

2021/11/3掲載